みなさんこんばんは。スキッパーです。見に来て下さりありがとうございます。前回の記事「精神年齢の成長が小3で止まるとは?」の続きを書かせて頂きます。
前回は自分の精神年齢の成長が小3で止まっていたという話でしたね〜。「自分の記憶に残っている記憶の総量がそもそも少ない」=「学校生活などでの日々の経験が蓄積されていってない」という感じです。そうそう、小学校、中学校時代の自分には友達が全くいなかった訳ではなく、放課後友達とファミコンで遊ぶ事もけっこうあったのですが、けっこう長い時間一緒に遊んだにも関わらずその友達がどういう性格で、何が好きで何が嫌いな友達だったのか全く覚えていないんですよ。そう、会話はしてたと思うのですが、どんな会話をしていのか全く覚えていない。また、それに近い話で言うと、自分は中1の時吹奏楽部に入り、そこで一人の女の子の先輩から1年間とても丁寧に楽器の吹き方を教えて貰い、自分にとって初恋の人って感じなのですが、それにも関わらずその先輩がどういう性格でどういう趣味があって、何人兄弟がいて、などのパーソナルデータを自分はまるで知りません。
結局当時の自分は「人」に対する興味が全くなかったという事なのでしょう。「この友達がどういう趣味趣向を持っていて、どういう家族がいて、どういう考え方をしている人なのか知りたい」という欲求がまるでなかった。それは何故かと考えると自分が「自分自身がどういう人間なのか?」すら全く分かってなかったからです。自分自身が何が好きで何が嫌いで、どういう趣味趣向を持っていて、どういう考えを持っているのか自分自身が把握できていない。そんな人間が他人に興味が湧く訳がないですよね。
学校生活の意義の一つとして、「色々な人と関わり、人を知る事で、社会性を獲得していく」みたいな所があると思いますが、それで言うと自分は全くもって人を知る経験を蓄積していく事が出来ておらず、結果社会性の成長が小3で止まってしまったという感じです。
今日はここで失礼します。最後まで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m