鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

最も古い記憶②

みなさんこんばんはスキッパーです。見に来て下さりありがとうございます。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「最も古い記憶」の続きを書かせて頂きます。




自分が母親に感じた「諦め」とはなんなのかという話ですが、まず前提としてうちの両親は二人とも九州出身なのですが、九州のとある県で出会った後上京し、結婚生活を始めたんですね。ですから、周りに二人の親類縁者は全くおらず、子供が産まれた後母親は子育てで頼れるような知り合いが周りに誰もいない状況でした。それに加えて、うちの父親がまぁ神経質で精神的に不安定な男でしたから、母親は常にそこに気を遣って生活していたそうなんです。例えば夜勤明けで帰ってきた後とかは、彼を起こさないように物音を立てないように生活していたみたい。ですから友達を家に呼ぶのも遠慮していたようです。あ、もちろんうちの父親は子供を可愛がるような気持ちの余裕も一切ない人でした。



という訳で、そもそもまずうち父親のメンタル自体が不安定でしたし、そこに加えて自分が産まれ、さらに妹も産まれた。さらにさらに周りに頼れる親類縁者もいない。こんな状況の中でうちの母親の精神状態がいっぱいいっぱいになったであろう事は想像に難くありません。そしてたぶん当時の自分もその状況には薄々感づいていたのでしょう、自分としては電車内でちょっとしたわがままを言ったつもりが、母親から予想の何倍も叱られた事で、「あ、もううちの母親は自分に構う余力はないんだな」と悟ってしまった。



今から思うとあのわがままって自分の最初で最後のわがままだったような気もするんですよね〜。妹が産まれてから妹の方ばかり見ている母親に対して「自分の方も見てよ!」というわがまま。ですが、それに対する母親の反応が予想を超えて厳しいものだったので、「あ、もう自分の入る隙間はないんだな。」と。




そして、この事件以降自分は親に対して自分の感情や欲求を口にしなくなってしまった記憶です。




今日はここで失礼します。最後まで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m