鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

2つ目の大学へ

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 空手部での大失敗を認められるようになるまで6年間かかった話 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は自分が空手部での大失敗を認められるようになるまで6年間かかったという話でしたね〜。そういえば前回の記事で自分がロックダンスを始めたのは、大学4年の4月頃だったいう話をさせて貰いましたが、正確には大学3年の冬頃になります。つまり空手部とロックダンス両方やっていた時期が3〜4ヶ月あるんですね。実は自分は大学4年時の1年間だけでなく、大学3年生の後期も半年間大学を休学していまして、その時の気持ちとしては「あと半年でようやく空手部を引退できる訳だけど、あと半年間空手部を耐える為には大学を休学して空手部のみに専念するしかない!」という感じでした。そう、その頃には自分の心身は空手部の恐怖でボロボロでしたから、もはや授業に出る気力など全くなく、空手部をあと半年間耐える為には大学を休学するしかありませんでした。んで大学を休学してみると、なんとなく余裕が出てきましたので、ロックダンスを始めてみた訳です。




そうやって空手部とロックダンスを並行してやっているとようやく大学4年の4月になり、自分は空手部をやっと引退できました。その時の気持ちに関してはこれまでも書かせて貰っていますが、今印象的に思い出すのは「開放感」です。やはりそれまでの3年間ず〜っと自分は「空手部の練習で自分は殺されてしまうのでは?」という恐怖感に苦しめられてきましたから、空手部の引退により、その恐怖感をもう味わわなくても済むという開放感はあったと思います。もう「明日の人間サンドバッグで自分は殺されるかもしれない」と、恐怖におののきながら眠れない夜を過ごす、みたいな事は無くなる訳ですからね。「あ〜俺生きていてもいいんだ〜」って感じでそれは当然嬉しい事ではありました。ただまぁあの時の自分の感情の90%は3年間死の恐怖に晒され続ける中で蓄積された「疲労感」「徒労感」「虚無感」「厭世感」で占められていました。ですから、折角の死からの開放感も感情の10%くらいでしか味わえなかったのは残念な所です。




さて、そんな感じで自分は大学4年の4月に空手部を引退しまして、その後ロックダンスを3ヶ月くらい続け、辞めた、と。そしてその頃ぐらいですかね〜、今いる大学を辞めてもう1回大学生活をやり直したくなったのです。まずなんと言っても今いる大学にい続ける事が限界でした。この大学には死の恐怖に晒されまくった空手部の恐怖の記憶がべっとりと染みついている訳で、この大学にいる限りその恐怖が蘇ってきてしまいます。また、気付けば同期のクラスメート達は自分の周りから一人残らず消えていましたから、その孤立無縁な状況下でまだ半分以上残っている単位を取っていくのも到底無理な状況でした。そう、そして例の「自分はあの厳しい空手部の練習を3年間耐えたのだから、体力はついてる筈だ」という「願望に基づいた錯覚」も発生していましたから、その体力を持って大学生活をやり直せば今度こそ楽しい大学生活を送れるような気がしてしまったのです。




そうそう、大学4年といえば当然就職活動の時期なわけですが、自分は就職及び就職活動をする気もさらさらありませんでした。ここら辺の詳しい経緯に関してはこの記事[新卒での就職を諦めた話と遅れてきた反抗期]をお読み頂ければと思います。その記事に付け加えますと、空手部の3年間で自分の心身はボロボロになっていましたから、そこから厳しい就職活動に耐える自信は全く無かったですし、クラスメート達とは音信不通状態でしたので、就職活動を始めようにも全く情報がない状況でもありました。また、クラスメート達と再び連絡を取るような気力も全くありませんでした。そう、そして、当時の自分が就職に持っていたイメージを思い出してみますと、仮に自分がどこかの企業に就職できたとしても、自分がそこで会社の歯車になって働きに働かされて過労死していくような、そういうイメージしか持てなかったのです。今から考えるとそのイメージって自分が過ごした空手部の3年間と全く一緒ですよね。空手部の3年間で自分はず〜っと死の恐怖に晒され続けたものの、そこを辞めるという選択肢は全く取れず、ただただ3年間が終わるのを待つ事しかできませんでした。(何故辞められ無かったのかはこちら)その経緯を踏まると、例え会社に入れたとしても嫌な事を嫌とは言えず、流れに流され、最後には疲れ果てて破局する事は容易に想像する事ができました。また、大学3年時のゼミにおいて、自分は周りのゼミ生達と大人と子供くらいの精神年齢差を感じていましたから(周りのゼミ生達と全くコミュニケーションが取れない。)、そんな自分が就職したとしても周りの同期達と上手くやっていけないであろう事も容易に想像できました。




とまぁそんな感じで就職活動は早々に諦め、親に言って、新しい大学に移る事を認めて貰いました。そういえば、今いる大学を辞めて、新しい大学に移る事を親に伝える際、自分は「これから勉強し直して東大に入る!」とか言っちゃったんですよね。なんかそこまで大きい事を言わないと新しい大学に移る事を認めて貰えなさそうな気がしたのだと思います。んで親が「それなら辞めればいい」と認めてくれたのですが、その時の自分が東大になど入れる訳もなく、そこからなんとな〜く志望校の偏差値レベルを落として行きました。そして、最終的には英語と国語だけで受けられて、あまり勉強をしなくても合格できそうな大学で認めて貰いました。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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