鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

父親との関係性(2000年2月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 大学休学を親に話すのが嫌でしょうがない(2000年2月頃 )」の続きを書かせて頂きます。



さて、そんな感じで自分は大学休学の話を親にするのが嫌で嫌で仕方なかった訳ですが、そうは言っても大学生活を送る気力がなくなってしまった以上、休学は必須であり、話をせざるを得ませんでした。当時の自分と親との関係ですが、父親との関係は悪く無かった記憶です。そうそう、自分が子供の頃のうちの父親と言えば、自分に対して全く無関心で、一緒に遊んで貰った記憶など一切なく、母親としょっちゅう喧嘩してはブチ切れている人でした。まぁとにかく神経質で精神的に不安定で無口で何を考えているのか分からない人間で、母親はそんな父親の顔色を伺いながらビクビク生活していましたね。自分は父親に対して特に怯えるような事は無かったですが、父親が父親らしい事をしてくれる事は皆無でしたし、父親が食卓で楽しくお喋りをしているような事も皆無でしたから、自分の中での父親の存在はまるで透明人間のようでした。いるんだかいないんだか分からない透明人間。そう、自分は父親が何が好きで何が嫌いで何が得意で何が不得意でどんな人生を送ってきた人間なのか、当時これっぽっちも知らなかったのですからね。自分の中に父親という人間の人間像が全く無かったのです。とは言っても父親は別に2ヵ月にいっぺんしか家に帰ってこないとかそういう生活をしていた訳ではありません。うちの父親の職業は開業医でして、職場と家は近くでしたから、顔はしょっちゅう合わせていました。




さて、そんな父親との関係ですが1つ目の大学の2年生頃に変化が現れまして、少し交流が生まれました。なんか父親がとある整体師さんと仲良くなり、その整体師さんから整体を受けるよう勧められたのです。当時の自分といえば空手部の練習で身も心もボロボロになっていましたから(大学入って鬱が3倍酷くなった話 )、整体で少しでも身体が良くなるならという思いで、整体を週1くらいで受けていました。そして、その流れで父親がご飯に連れて行ってくれるようになったんですね。父親が運転する車で色んなラーメン屋さんに食べに行きました。車中の父親は「現在その整体師さんと共同で漢方の研究を進めていて、それがモノになるかもしれない」、と熱っぽく語っていた記憶です。あとね〜、うちの父親は今も昔も新興宗教やらスピリチュアルやら陰謀論やらが大好きなオカルト人間でして、当時は「俺は気功ができる!」とか自慢気に言ってましたねぇ。



そんな感じで当時の自分と父親の関係は、そのような整体やご飯の繋がりがある中で悪くは無かった記憶です。なんだったら母親との関係よりは良かった。そう、当時関係が悪かったのは母親の方なんですよ。自分は母親に対してけっこうムカついていた記憶です。以前の記事で自分の学生時代は親の手が一切かからないいわゆる「いい子」だったけど、その後それがカウンセリングを受け始める事で変わってきた、という話をさせて貰いました。(「いい子」で育つ事のリスクと就職活動を諦めるまでの経緯)大学3年時にカウンセリングを受け始める事でようやく自我が芽生え始め、それに伴い親への反抗心が生まれてきた、と。そしてその反抗心が向かったのが母親だったんですよね〜。なんか当時は母親が勝手に自分の部屋の中を掃除したり、布団を勝手に干してしまう事にムカつきまくってた記憶ですw




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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