皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「我が家のゴタゴタの歴史①」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は時間を遡って、我が家のゴタゴタの歴史を書かせて貰いまして、自分が小3の時の父親の開業の話までさせて貰いました。ホントあの開業によって我が家は戦争状態に突入してしまったんですよ。それというのは開業後の忙しさで父親のメンタルがやられた事に加えて、父親方の祖母とニートの叔父が勝手にうちの近所に引っ越しをしてしまったからなのですが、この2人をどう扱うのかを巡って、うちの父親と母親の間でずっと意見が食い違い、この事を巡る激しい夫婦喧嘩が10年以上続いたのです。あれはホントキツかった。前回も書きました通り、うちの父親はそもそもこの引っ越し前から祖母(うちの父親から見ると実母)とのコミュニケーションが全然取れておらず、だからこそ祖母は開業後の父親のメンタルのやられっぷりなど知る由もなく、勝手に世間的なイメージ「医者としての開業=人生順調」で父親の開業を捉えてしまったんですね。そして、同時期の祖父の死をきっかけに「それじゃあの子を頼ろう」と勝手に九州から関東の我が家の近所に引っ越してきてしまった。しかも祖母だけでなく、ニートの叔父(父親から見ると弟)まで連れてきてしまったから、余計問題がややこしくなってしまったのです。
この叔父という人は当時35歳くらいでして、小学校を中退した後、その後学校には行かず引きこもりみたいな状態でしばらく過ごした後、音楽の道を志したものの、その道でも上手くいかず、今でいうニートをしていた人なんですね。初めてこの話を父親から聞いた時は驚きました。叔父が小学生だったころといえば今から55年程前(1965年頃)、当然まだニートや引きこもりという言葉が無い時代です。その頃に叔父は高校中退や中学中退ならいざ知らず、小学校を中退して、その後学校生活を一切送っていないというのです。叔父はある時小学校に行こうとするとお腹が痛くなるようになってしまい、それ以降学校というものに全く行けなくなってしまったという話でして、自分はこの話を聞いた時、うちの家系の闇の一端に触れたような気がしました。自分自身が長年学校生活が上手くいかなかっただけでなく、叔父まで小学校中退だったとは。そして、叔父は20歳頃音楽に目覚め、その道で食べていこうとしたらしいのですが、それも上手く行かずニート生活を送り続けた、と。
そんな超特殊な人生を送ってきた叔父と、うちの父親と全くコミュニケーションが取れていない祖母がうちの近所に引っ越してしまったからさぁ大変です。(彼らはうちの家から車で20分程の隣町に引っ越してきてしまいました。)ただでさえ、うちの父親は開業の忙しさでメンタルを大きくやられてる上にこの2人が父親を頼るようにこちらに出てきてしまった訳ですからね。だからまず前提としてうちの父親はこの2人の面倒を見る余力が全くなかったんですよ。開業以降昼夜を問わない往診の依頼が続きうちの父親の心身は壊れていきましたから、この2人の面倒を見る余裕は全くなかった。そもそもこの引っ越し以前からうちの父親と祖母との関係は上手くいっていなかった訳で、それが父親に無断で勝手に引っ越してくるわ、父親のメンタルは仕事で壊れていくわですから、引っ越し以降父親と祖母との関係は最悪を通り越して「無」の状態になってしまったような印象です。そう、父親としてはもはやあの2人の面倒など見るつもりにはなれず、近所に住んでいるけど、一切の交流を絶ち、無視するしかないというスタンスになっていったのです。(あの2人は祖父の年金などで経済的には自立していましたので、うちの父親が存在を無視したとしても、経済的に困窮する事はありませんでした。)
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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