鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

我が家のゴタゴタの歴史14

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「パンク事件以降の父親の変化〜我が家のゴタゴタの」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事はパンク事件以降うちの父親の仕事への姿勢が変化したという話でしたね。以前のように患者さん達の話を親身になって聞く事はなくなり、漢方の研究に時間を割くようになりました。何故患者さん達の話を親身になって聞かなくなったのか、という話なのですが、3日くらい前父親がこんな事言っていました。「患者さん達の話を親身になって色々プライベートな話を聞いていると、話がどんどん深刻な方向に転がり、とても絶望的な話を聞く事がよくあった。それはもうとても絶望的な話で、現実的に自分にはどうにも対処しようもない話だった。そういう話を聞く事に疲れてしまったんだ。」、と。具体的に患者さんからどのような話を聞いていたのかは聞けなかったですが、どうやらうちの父親は患者さんに親身に接しようと思う余り、患者さん達のプライベートを掘り下げ過ぎてしまう所があったようです。そして、元来超人嫌いな父親がそんな患者さんのシリアスな現実的な問題に対処できる力など持っている訳もなく、無力感と絶望感を感じるようになっていった、という感じですかね。




さて、そのような形でパンク事件以降うちの父親の仕事への姿勢は変わってしまいました。そして、そのような状況の中で出会ったのが、例の整体師なのです。(父親との関係性(2000年2月頃))出会ったきっかけは具体的には聞けていないのですが、たぶん父親が仕事で疲れ切った身体をなんとかしようとしてこの整体師から整体を受け始めたという所だと思います。そうそう、僕が父親から父親の人生がどういうものだったのかを聞いたのが5〜10年くらい前なのですが、その際父親が話すのを嫌がった部分がこの整体師との付き合いの件りなんですよ。ですから彼との付き合いの大まかな経緯は知っているのですが、細かい話までは聞けていません。ですからここからはざっくりとした事の経緯とそこに自分の推測も含めてお話したいと思います。先程書かせて貰ったような経緯で父親は整体を受け始める事になったと思われるのですが、たぶんその中でうちの父親はこれまでの仕事の苦労をその整体師に聞いて貰い、整体師も優しい言葉でうちの父親を労ってあげたりしたのでしょう。整体を受けてる最中って色々お喋りする事ができますからね。あ、その整体師は当時35歳くらいの男性でして、自分も大学1〜2年の頃何度か整体を受けた事があるのですが、優しそうな雰囲気の整体師でした。そうそう、父親はその整体師を自分の仕事場に呼んで、そこで整体をして貰っていましたね。加えて彼はアトピー持ちな感じでして、そこら辺もうちの父親と話が合う部分だったのかもしれません。何せうちの家族は自分が喘息持ちで、妹がアトピー持ちというアレルギー一家ですから。そして、そうやって週1くらいのペースで整体を受け続ける中で、パンク事件で心身共に疲れ切っていた父親はこの整体師にどんどん心を開いていきまして、父親が研究している漢方を共同研究するような仲になっていったのです。






今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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