皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「常軌を逸していく母親の怒り〜我が家のゴタゴタの歴史16」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事はうちの母親が父親に対し開業以降不信感をどんどん募らせていったという話でしたね。そして、それはうちの父親と例の整体師が共著で本を出版すると爆発しました。爆発したきっかけが何だったのかと言いますと、学術系の本って読んでいくと最後の方のあとがきで『この本を書くに当たって協力してくれた○○さん、○○さん、どうもありがとうございました。そして、苦労をかけてしまった妻の○○、息子の○○、娘の○○にも感謝します。』的な謝辞を表す件りがありますよね。まぁよくある件りだと思います。それで父親と整体師が出したその本なのですが、父親が本文を書いていて、整体師の方はアイデアを提供するみたいな役割分担でして、うちの父親が「著者」で例の整体師は「協力者」という形だったんですね。実際本文はうちの父親が書いていました。そして、父親は本の本文を書き終わった後、後書きにその謝辞の件りを書きまして、「妻の○○、息子の○○、娘の○○にも感謝します」って書きました。(○○はうちの家族の名前です。)それでね〜、この謝辞の部分を見たうちの母親が大大大激怒だったのです。イメージで言うと、「これまでお前はロクに夫らしい事、父親らしい事を何一つやってきていやがらないのに、何一丁前にかっこいい事書いてやがるんだ!!」的な感じ。そう、本の後書きにこの謝辞を書くと、読者の人達は我が家の事を夫婦間、親子間で感謝を言い合える暖かい家庭のように思ってしまう可能性があると思いますが、母親にはそれが到底許せなかったのです。だって実際にはそんな暖かさなんて我が家には一欠片もなかったですし、それどころか10年以上に渡って酷い戦争状態が続いていた訳ですから。
一般的に本の後書きでそういう謝辞を書かれた家族は喜ぶ方達が大半ではないかと思うんですよ。感謝されて悪い気はしませんからね。正直自分も当時は「は?折角親父が上辺だけとはいえ、感謝を表現してるんだから、素直に受け取っておけばいいじゃん」って思ってました。さらに言うと「親父の事を悪く思い過ぎじゃね?そこまで行くと、言いがかりやイチャモンを超えて、被害妄想だな」、と。そういえば、あの頃自分はその後書きに対する母親の大大大激怒を隣で聞いていて、母親に対して「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはこの事だな。」とよく毒づいていたものです。当時はホント母親の後書きに対する大大大激怒はとても理不尽なものに思えました。そうそう、自分が母親に対してムカついたのはこの後書き事件が初めてではなく、それ以前のあの2人の扱いに関する両親の喧嘩に関しても母親に対してムカついていたんですよ。うちの父親が「あの2人にはもう何を言っても通じないのだから、もうあの2人の事は無視するしかない。」と言い続けているにも関わらず、うちの母親はいつまで経っても「親兄弟が近くに住んでいるのに無視し続けるなんて信じられない!」って父親の事を非難し続けていましたから、自分的には母親のせいでいつまで経っても我が家の食卓には平穏が訪れないように感じていたのです。そう、そんな感じで自分の母親に対するムカつきはどんどん溜まっていったんですよね〜。自分が母親に対してムカつき始めた時期はたぶん自分が一つ目の大学の3年時にカウンセリングを受け始めてしばらく経った頃ではないかと思います。それまでの自分には「自我」というものが全くなかったですから、何かにムカついたり、怒ったり、悲しんだりという事が全くなかったんですよ。ただただ流されるようにボーッと生きてきていまして、それが原因で周りのクラスメートとまともにコミュニケーションが取れず、様々な人間関係のトラウマを抱える事になりました。そんな中、大学3年時にカウンセリングを受け始める事で、自分は生まれ初めて、安心できる状況下で自分の感情を素直に言語化するという事を経験する事ができ、そこで出てきた言葉からようやく自我を作っていく事ができました。そして、そこで生まれた自我から母親に対するムカつきが生まれたという訳です。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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