皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 常軌を逸していく母親の怒り②〜我が家のゴタゴタの歴史17」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事はうちの父親が本の後書きに書いた謝辞に対してうちの母親が大大大激怒したという話、そしてそんな母親に対して自分がかなりムカついていたという話でしたね。加えて自分が1つ目の大学の3年時にカウンセリングを受け始めた事で自我が目覚め、その自我により母親にムカつき始めた、という話もありました。ここで最近記事にしている出来事を時系列に並ばせて頂きますと、
1997年(1つ目の大学の3年)→カウンセリングを受け始めて自我が目覚める
1999年夏(2つ目の大学1年夏)→父親の後書き事件
2000年2月頃(2つ目の大学1年2月)→大学休学を親に言う。
という感じになります。これまで書いてきました通り、我が家は10年以上に渡って戦争状態にあった訳ですが、1997年にカウンセリングを受け始める前の自分は、我が家の戦争状態に関して傍観者であったと思うんですよ。そう、自分には自我がありませんでしたから、父親や母親が言う事のどちらにも感情移入する事はできず、ただただその荒廃した空気を受け続け、メンタルが壊れていきました。しかし、1つ目の大学3年生でカウンセリングを受け始めてからは、自分もその戦争状態の当事者となっていった感じです。そう、カウンセリングを受け、自我が目覚めた事で、「母親と父親が両方ムカつく」という形でこの戦争に自ら関わっていく事になりました。
さて、そんな感じで後書き事件以降我が家はさらに酷い戦争状態になっていきまして、自分は2つ目の大学でもクラスやサークルや習い事に居場所を作れなかった結果、2000年の2月に親に大学の休学を言わなければならない状況に追い込まれました。そして、自分が大学を休学するのはこれで通算3度目になりますから、もういよいよ親にそれをどう説明すれば良いのか分からなくなってしまっていたんですね。そうそう、休学理由は「大学で友達が全く作れないから」なのですが、それを親に言うのは恥ずかし過ぎるというか、プライドが許さない感じがありました。しかし、そうは言っても再び大学生活を送る気力は全く無くなっており、やはりその事を親に言わねばなりませんでした。それでね〜、いよいよ休学の件を親に話す事になったのですが、あれはちょっとした修羅場だったなぁと思います。なんかね〜、とりあえずは両親に「次の4月から大学を休学したい」と伝えますと、やはり、両親から「何故?」と聞かれました。それで言うのがホント嫌で嫌で仕方なかったのですが渋々「大学で友達が作れないから」と伝えたのですが、そこから自分泣き始めてしまったんですよ。そして時間が経つにつれ、涙の勢いはどんどん激しくなっていきました。まぁやはりそれまでの10年以上の学校生活の中で、自分の鬱はどんどん酷くなり、身体もどんどん壊れていきましたからね〜。(大学入って鬱が3倍酷くなった話 )単純に言って凄まじい量の「悲しさ」が自分の中に蓄積されていった訳でして、それが親に「大学で友達が作れないから」と言った途端、ダムが決壊するかのように涙となって外に出ていった感じです。そしてひとしきり号泣した後、自分は「大学休学をしたらまたカウンセリングに行こうと思う」とも言いました。やはり自分が救いと回復を求める場所はそこしかなかったですからね。
すると、なんか自分そこから段々と父親に対してムカついてきたんですよ。ついさっきまで号泣していたのにその感情はどこに行ったのかという話ですが、まず親の前で泣いた事で自分はかなり恥ずかしくなってしまった記憶です。そりゃそうですよ、「学校で友達が作れない」なんていう恥ずかし過ぎて絶対親には言いたくない事を言ってしまった訳ですし、さらに親の前で号泣してしまった訳ですから。そして、その凄まじい恥ずかしさが徐々にムカつきに変わっていった感じでして、そこから自分は学校で友達が出来なかった責任を自分以外の誰かに責任転嫁したくなったのです。そう、学校で友達が出来なかった事は認めるけど、その責任が自分自身にあるとは絶対認めたくなかった。そして自分は「そもそも俺が学校で友達が出来なかったのはこの家の雰囲気がずっと酷かったせいだ!」と、キレ始めたのです。たぶんこの時生まれて初めて自分は「家庭環境が酷いと、そこで育った子供の人生は滅茶苦茶になる。」という因果関係を言葉で表現したような気がします。この発想はどこから出てきたんですかね〜。自分は1つ目の大学に入学以降、空手部生活を送る中でさらに鬱が悪化していった訳ですが、そんな中で精神医学系の本をけっこう読んだんですね。その中には「精神的に病んでしまう人はその育った家庭環境が酷い場合が多い」と書かれた本があり、それがこの時のキレ発言のネタ元になっているのかもしれません。
また、何故母親ではなく父親にキレたのかと言う話ですが、自分は今回の話以前は母親に対してムカついていまして、それを母親に直接言っていました。母親がいつまで経ってもあの2人の件を追及し続けるから、我が家の食卓が平穏にならないような気がしてましたし、後書き事件についても「折角謝辞を現してるんだから、そこまで悪く言う事ないだろ」と思っていました。しかし、今回は母親を責めるのではなく、父親を責めた。これは何故だったのか考えてみますと、とにかく自分は親の前で号泣しましたから恥ずかしくて仕方なかったんですよ。そしてその恥ずかしさの反動で自分が学校生活で友達が出来なかった責任を強く強く家庭環境に求めたくなったのです。簡単に言えば、父親と母親のどちらかを謝らせたくなったという事です。そしてね〜、謝らすなら母親よりも父親を追及した方が勝ち目がある、と無意識的に考えたような気がします。なにせ母親は父親の事を10年以上に渡って糾弾し続けている人ですからそこには確固たる信念みたいなものが感じられました。一方父親は自分の中で透明人間みたいな存在でしたから、こちらからは信念みたいなものは一切感じられませんでした。ですからそこら辺の信念の有り無しみたいなものを一瞬で無意識的に感じ、父親の方が断然謝らせ易いと判断したのだと思います。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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