鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

古本屋バイトの話(2001年4月〜)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「父親方の祖母の死とその影響(2001年4月頃)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は父親方の祖母の死をきっかけにうちの両親の関係が改善していったという話でしたね。そんな感じで2001年の4月に祖母が亡くなりまして、同じ時期に自分は大学に復学しました。しかしまたしてもサークル活動に失敗しまして、9月から再び大学を休学という流れになります。休学した後は例の古本屋さんで週3くらいバイトしてましたね〜。仕事の流れとしては、夕方の4時にお店に入り、買い取った古本屋のクリーニング作業をしたり、古本の買取をしたり、お店の掃除をしたり、暇な時間はマンガ読んだりで、1人で店番をし、夜10時にお店を閉め帰る、という感じでした。基本ずっと1人なので、お客さん以外とはコミュニケーションを取る必要がなく、そこが一番気楽で良い所でした。この古本屋の社長さんの性格は明るく大らかであまり細かい事を言わない人でしたし、バイト仲間達も今で言う所の「陰キャ」タイプが多かったですから、鬱で心身ボロボロの自分にもなんとか務まりそうな仕事でした。




以前の記事で自分が大学を休学する際、親に「古本屋でバイトしてコミュニケーション能力を向上させて、また大学に戻る」と説明して休学の了承を取ったという話をしましたが、このような1人で店番するお店でどのようにしてコミュニケーション能力を向上させるつもりだったのかと言いますと、自分がこの古本屋さんで働き始めるのと同時期にこの社長さんが2店舗目の古本屋を新しく作る事になったんですね。それでその2店舗目の店長にこの社長さんの息子さんが就く事になったのですが、この息子さんがコミュニケーション能力馬鹿高の人だったんですよ。当時息子さんは35歳くらいで北海道で働いていたのですが、店長をする為に神奈川に戻ってきまして、他の古本屋で店長修行をした後にこの2店舗目の古本屋で店長をする事になりました。自分が働いていた古本屋とこの2店舗目の古本屋は近くにあったものですから、自分もちょくちょく2店舗目の応援に行く事があり、この息子さん(当時「店長」と読んでいたので、以降「店長」と書きます)と一緒に仕事をする事があったんですね。そしてこの時に見た店長のお客さん対応が見事だったのですよ。店長はお客さんとちょっとした会話を交わすのが上手かったですし、そこから会話を続けていって、お客さんと仲良くなるのも上手でした。お客さんに対して礼儀をわきまえた上でフランクでしたね。また、見た目も細身で色黒で髪の毛はパーマがかかっていて、ちょっと強面な感じでした。そう、店長は古本屋の店長とは思えない程ワイルドでカッコ良い風貌でした。そしてそんな店長のフランクな接客の様子は、自分から見ると輝いて見えたんですよ。何せ自分は長年の間学校生活のあらゆる場面でコミュニケーションに挫折し続けていましたし、その結果他人が極度に怖くて仕方がない状態になっていましたからね。それ故に「あ、この店長と今後も一緒に仕事をし続ければ、もしかしたら自分のコミュニケーション能力も上がり、大学生活に戻る為の足掛かりができるかもしれない」と思えたのです。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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