鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

〜遅れてきた反抗期〜尿管結石発症までの精神的経緯②

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「尿管結石発症までの精神的経緯(2003年9月・27歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事はこのブログの読者の方達へのお礼と尿管結石発症までの経緯でしたね。そう、あの尿管結石の原因は100%精神的な所にありまして、27年間社会生活を送る中で溜まりに溜まった孤独感や絶望感が、一気に身体に襲いかかってきた感じです。そして、尿管結石発症のきっかけは「家族内ストレス」にあるという話もさせて貰いました。そもそも我が家は自分が小3の時に父親が自宅で開業して以降、15年間に渡って両親の間の喧嘩が絶えず、戦争状態であり続けていました。その戦争状態が常に自分の心身にダメージを与え続けていた事は間違い無いのですが、だからと言って自分が両親を恨むだとかそういう感情を持つ事は無かったんですよ。何故ならただひたすらに自分にとってその戦争状態が当たり前な状況になっていましたから。そう、自分にとって自分の家族こそが世の中で認識できている唯一の家族でしたから、その自分の家族内の状況がいかに異常であっても、それ以外の家族の状況を知らず、比較ができないから、それが当たり前だったという事です。以前もお話しましたが、自分は小3以降どんどん周りの友達とのコミュニケーションが難しくなっていきました。ですから当然友達との関係を深める事ができず、故に周りの友達がどのような家庭環境で育っているのかを知る事も全く無かったんですよ。知らなければ、比較が出来ず、自分の家の異常性に気付く事もありません。同様に自分は映画や本を読んでも「感想」というモノが一切浮かんできませんでしたから、映画や本の中で描かれている家族を見ても印象に残る事も一切無かったのです。




そのような精神状態に変化が現れたのは、1つ目の大学3年生(21歳)でカウンセリングを受け始めてからです。そこで自分は「自分の感情を素直に言葉に変換する」という脳内プロセスを生まれ初めて経験し、それにより自分自身がどういう人間なのか、徐々に認識していきました。いわゆる「自我」が目覚めたというやつです。同時に「自分の育った家庭環境が実は異常な環境だったのではないか?」という疑念も持ち始めた記憶です。そしてようやく生まれた自我によって、自分はまず母親に対して反感を覚えるようになっていきました。遅れてきた反抗期です。当時自分は母親に関する色々な事をムカついていましたが、突出してムカついていたのが、父親との喧嘩についての件です。そう、この時点ですでに両親の間で喧嘩が始まってから12年程経過していたのですが、諸々積み重なっていた喧嘩の原因の大元は、「父親側の祖母とニートの叔父をどう扱うのか?」というものだったんですね。どういう事かというと、12年前に父親が開業するのと同時期に父親側の祖母とニートの叔父が勝手にうちの近所に引っ越してきてしまいまして、この2人をどう扱うのかを巡って、両親の間で延々と喧嘩が繰り返されてきたんですよ。(我が家のゴタゴタの歴史① )そして、この頃から自分は両親間の喧嘩が延々と続いている原因は母親側にあるのでは?と思い始めていました。




そう、この頃になると2人の扱い方に関して父親の方はもうあの2人とはひたすら距離を取り、無干渉でいる事が1番だという結論に落ち着いていたんですね。父親は何度も2人の元に向かい、なんとかコミュニケーションを取ろうとしたものの全く上手く行かず、そのような結論を得たという話でして、自分もその話を聞き納得していました。そもそもこのような事件が起こる前からうちの父親と祖母の関係は無いも同然な印象でしたから、それがこの勝手な引っ越しでますます関係がややこしくなり、もはやサジを投げるしかなくなったであろう事は想像できました。しかし、うちの母親はそうでは無かったのです。うちの母親の育った家庭環境はとても両親の仲が良く、加えて親類縁者皆仲が良かったんですね。土日になると親類縁者集まっていつも宴会をやっていたという話でして、とても賑やかで暖かい環境で育った人でした。そんな母親だけに自分の親が近くに住んでいるのにも関わらず、それを無視し続けるという父親のその結論には到底納得出来なかったのです。ですから、父親がそういう結論を出した後も母親は父親のそういう態度を糾弾し続けていまして、自分はそんな2人の喧嘩を見ていると、「母親が父親の事を糾弾するのを辞めれば、長年の喧嘩は収まり、我が家は平和になるのでは?」という思いが強くなっていきました。そう、当時の自分は両親が育った環境があまりにも大きく違っている事など知る由も無かったですし、その環境の違いが喧嘩の原因になっている事もまた知る由もありませんでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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