鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

尿管結石の際の父親の暴言、その背景を探る

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「ブログを1年続けて見えてきたとても大きな希望(2020年5月)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、ブログを1年間書いてみると、とても大きな希望が見えてきたって話でしたね。さて、話は2003年11月の尿管結石に戻ります。自分は尿管結石を発症後、凄まじい差し込みを始めとする様々な鬱的修羅場を経験しました。父親から凄まじい暴言を投げ付けられたのもこの時です。そして、発症の翌日に自分は再び家族とのコミュニケーションを復活させる事を決めました。そう、自分はもう2度とあの激し過ぎる差し込みを経験したくなかったんですよ。あれはホント自我が崩壊する程の痛みでしたからね。ですから、ホントにホントに屈辱的で嫌でしたが、家族と再びコミュニケーションを取ってみる事にしたのでした。自我が崩壊する程の痛みを2度と再発させない為には、自分の中の根本的な何かを変えるしかない、と。




さて、今回の記事ではこの尿管結石の際の父親の暴言について掘り下げようと思います。この暴言事件の概要をおさらいしますと、2003年11月、自分が家にいますと原因不明の凄まじいお腹の痛みに襲われまして、父親を頼って父親の部屋を訪れたんですね。するとそこで父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という暴言を投げ付けられた、という話でした。(〜父親の破壊的暴言と自分の凄まじい怒り〜尿管結石にのたうち回った1日③)う〜ん、今考えても医者・父親・人間として、3重の意味であり得ない言葉。ホントね、自分はあの暴言を投げ付けられてから15秒くらいは言葉の意味が全く理解出来なかったですからね。父親が「大丈夫か??」って心配してくれると思ったら、第一声があれですもん。この言葉の意味を理解した後に自分が感じた絶望感と怒りは空前絶後のものでした。それでね〜、この尿管結石の6年後の2009年あたりから、自分はこの父親がどのような人生を送ってきたのか知りたくて詳細に父親の人生を聞いていったのです。全部聞き終わるのに2年くらいはかかったでしょうか。その中で自分はこの尿管結石の際の暴言がどのような背景から産まれたのか父親に聞いていきました。



まず自分はこう想像しました。「痛みに悶絶する自分にあれ程の鬼畜な言葉を投げ付けてくるという事は、当時の父親の中には自分に対する憎しみが相当あったに違いない」、と。実際、父親が自分に対して「こんな時だけ頼りやがって!!」と投げ付けて来た時の父親の口調は憎しみに溢れていましたからね。その時、父親の心の中に、自分に対する莫大な憎しみがあったと想像するのは妥当な線だったと思います。そこで自分は、この尿管結石以前の自分と父親の思い出の中で、自分が父親から恨まれるような事はなかったか思い出していきました。すると思い当たる事が2つありました。まず1つ目が、この尿管結石以前の自分と父親の関係はたまに一緒にドライブに出かけ、ご飯を食べに行くような関係だったんですね。しかし、その車中での父親との会話が余りにも虚しいものでしたから、自分は尿管結石の3ヶ月程前から父親とご飯を食べに行くのを辞めました。それと同時に家の中でも父親との交流はなくなっていきました。この「自分が父親から離れていった一連の流れ」、これを父親は恨んだのでは?、という仮説です。そう、もしかしたら父親は「あれだけドライブ連れて行ったり、ご飯食べさせたりしてやったのに、俺から離れるなんで許せない」と思っていたのかもしれません。そして、自分に対する憎しみを募らせていった、と。




この1つ目の仮説を父親にぶつけてみますと、「いや、全然違う」と答えました。それでね〜、父親はこう言うんですよ。「あの尿管結石の際、〇〇(自分の名前)に対する憎しみがあった訳じゃないんだ」、と。それを聞いて自分は「いやいやいや、あんな言葉俺に対する憎しみがあったとしか思えないよ!!」と反応した記憶です。「何をここに来て綺麗事を言ってる訳???」、と。「憎かったのなら憎かったと言って貰った方がすっきりするわ!」、と。でもね〜、追及していっても、父親は綺麗事などでそう言ってる様子はなく、ホントに自分への憎しみが無かったような口ぶりなのです。そこで自分は2つ目の仮説をぶつけます。




2つ目の仮説は、この尿管結石の3年程前に自分は父親の事を土下座させた事があったのですが、この事を父親は恨みに思っていたのでは?、です。(父親を土下座させた話〜我が家のゴタゴタの歴史19)自分的にはこの2つ目の仮説が本命でした。だって普通に考えたら、息子である自分が父親を土下座させた訳ですから、ここで父親の中に激しい恨みが発生しても何らおかしい話ではありません。まして母親もいる中での土下座でしたからね。同時にかなりの屈辱感が発生していてもおかしくはない。さらに言うと父親はこの1ヶ月後くらいに胃に穴が空いて2週間ほど入院する事になりましたからね。これだってこの時のストレスが原因以外考えられません。ですから、2つ目の仮説は、「父親の中にこの土下座事件の際の恨みや屈辱感がマグマのように溜まっていて、それがこの尿管結石という非常事態で爆発したのでは?」です。




ところがこの2つ目の仮説を関しても父親は全否定です。「そもそもあの土下座の一件でも〇〇の事を恨んだ事は全く無いし、胃に穴が空いたのは研究をやり過ぎたからだ。」、と。これには自分参りましたねぇ。その父親の口ぶりは嘘を付いている様子はなく、ホントに自分に対する憎しみが無かったような口ぶりなのです。そう、自分は父親が自分の問いに答えている間、父親の表情を注意深く観察していました。しかし、父親の表情に憎しみの気配は全くなく、まっすぐ静かな目で自分の問いに答えていたんですよ。まぁうちの父親の人生を振り返ってみますと、うちの父親は他人に騙される事はしょっちゅうありましたが、逆に人の事を騙す事ができるような、そんな言葉の器用さは1ミクロンも持ち合わせていませんでしたからね。うちの父親がそんな言葉の器用さを少しでも持っていたなら、もう少し我が家はマシな家庭だったはずです。ですから父親が嘘を付いている可能性はかなり低い。でもね、だからと言って父親自身からあの暴言の背景が語られる事も無いのです。父親はこう言います。「尿管結石の際、〇〇に対して恨みが無かった事は確かだ。しかし、何故自分(父親)があんな事を言ってしまったのか、それは全く分からない」、と。いや〜そんな事言われたってこちらも「?????」ですよ。人の魂を殺しにくるような暴言を投げつけておいて、父親自身にもその背景が全く分からないって、なんじゃそりゃ。そして、自分は父親のその答えを聞きまして、もうそれ以上の仮説は思い付きませんでした。という訳で、2009年の時点では自分はこれ以上暴言の背景は探れなかったのです。そして、ここからさらに7年程経った頃でしょうか。(2016年頃)ふとした瞬間に自分の中に3つ目の仮説が産まれます。






今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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