鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

尿管結石の痛みが収まり退院(2003年11月・27歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「尿管結石事件により鬱が6倍に悪化(2003年11月・27歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は尿管結石事件のせいで自分の鬱がさらに2倍酷くなったって話でしたね。そう、自分は高校1年生の時に鬱が発症したのですが、その時の自分の中の鬱量を「1」とします。そして自分の鬱は1つ目の大学の空手部の3年間で3倍悪化しました。ですから鬱量は1×3=3で「3」に増加。そして空手部引退後、自分は2つ目の大学に移りましたが、そこでの4年間でも一切人間関係が作れず、その結果尿管結石が発症。これによりさらに鬱は2倍悪化しましたので、鬱量は3×2=6で「6」に増加、という感じです。このように自分の鬱の悪化を数字で捉えてみますと、ホント分かりやすくて、我ながら書いててとても嬉しい気持ちでいっぱいです。これぞサルベージの醍醐味。あ、「サルベージ」という言葉の意味は、自分がノートやブログに過去起きた出来事とそれにまつわる精神状態を詳細に書いていき、過去のカオスな精神状態を整理していく行為の事です。これは精神医学用語でもなんでもなく、自分が勝手に自分の行為にこういう名前を付けました。




さて、そろそろ話を前に進めます。尿管結石が発症した翌日、自分はノートに一連の尿管結石の経緯とその時の激しい感情を全て書いていきました。そして、そこで「尿管結石を2度と再発させない為には、家族とのコミュニケーションを復活させるのはやむを得ない」という結論に達したのです。よってそこから自分は家族への殺意を押し殺し、家族とコミュニケーションを取っていきました。まず自分は尿管結石により病院にしばらく入院する事になってしまいましたから、そこで母親に色々持ってきて貰わなければならないものがありました。ジャージや下着やラジオが必要だった記憶です。そこで自分は内心激しい屈辱感を覚えながらもそれを押し殺して、母親にそれらの物を病室に持ってきてくれるよう頼みました。そのような何気ないコミュニケーションすら自分にはかなり精神的にキツいものがありました。なにせ母親が10年以上の間、我が家を戦争状態に陥らせ続けた事に対する自分の恨みは、骨髄まで達していましたからね。ホント「殺したい程憎かった」のです。しかし、自分はそのような殺意を心の奥底に押し殺して、病室で母親とコミュニケーションを取り続けました。そのように母親と通常のコミュニケーションを取るのは、2〜3年ぶりだったような記憶です。そこから入院生活は3〜4日続き、その間様々な検査をしました。そこで自分はお医者さんに尿管結石の原因と再発を防ぐ為にはどうすれば良いのか聞いたと思うのですが、これと言った答えは貰えませんでした。まぁなんかほうれん草の食べ過ぎは良くないとか、なるべく水を飲むようにした方が良いとか、そのようなぼんやりとした対策は教えて貰った記憶です。




そして自分は尿管結石発症から5日後くらいに退院しました。これまで書いてきましたように尿管結石初日の痛みは自我が崩壊する程の凄まじいものでしたが、2日目以降は嘘のように痛みはほとんど無くなっていたんですよ。そして特に後遺症的な症状も無かったものですから、一通りの検査が終わると入院する意味は無くなっていました。まぁでもいつまた尿管結石が再発するか分かりませんから、かなり怖々した気持ちで退院した記憶です。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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