皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「殺したい程憎い家族3人とコミュニケーションを取る(2003年11月頃・27歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が尿管結石から退院した後、殺したい程憎い家族3人とコミュニケーションを取っていったという話でしたね。あれはホント精神的にキツかった。それと同時期に自分はとりあえず古本屋のバイトに復帰しました。いくら尿管結石の再発が怖いと言っても、痛みは発症初日以降ほとんど収まっていましたから、家にいても仕方なかったんですね。そうそう、尿管結石の再発防止策として、自分はとりあえず「水」を頻繁に飲むようになりました。すぐに水が飲めるよう常に水入りのペットボトルを身の回りに置き、喉が乾いたらすぐに飲む、と。なんか血の濃度が上がり、ドロドロになると尿管結石が出来易くなるという話を聞いたんですね。この習慣は自分に合っていたのか今でも続いています。そのおかげかどうかは分かりませんが、あれから17年経ちましたが、尿管結石は再発していません。
バイトに復帰した話に戻ります。バイトに復帰したと言っても、あの尿管結石により自分の心身はさらにぶっ壊れてしまいましたから、心身共に滅茶苦茶不安定な状態で古本屋バイトをしていた記憶です。そもそも自分はこの古本屋でバイトする半年程前、別の古本屋でバイトをしていたのですが、ここで働いていた時の体調からしてかなり不安定でしたからね。(古本屋バイト時代の鬱の諸症状(2002年4月〜2003年4月・26歳) 、 運動すればする程体調が悪くなっていく(2002年・26歳)、 睡眠不足による体調不良と店長のリア充オーラ(2002年4月・26歳))この時の体調ですらかなり不安定でしたから、ここにさらに尿管結石事件のダメージが加わり、体調の不安定さは滅茶苦茶なレベルになりました。バイト中は常に疲労感と眠気が酷くて意識が朦朧としていまして、ただ歩くだけでも足元が覚束なかった記憶があります。また、この古本屋はとても小さいお店でしたから、一人で店番をする時間が大半だったんですね。そこがコミュニケーション能力皆無の自分にとっては良い所だったのですが、一人で店番をしていますと、なんかもう特に悲しい事が起こった訳でも無いのに、常に悲しい気持ちになっていたのを思い出します。あの頃の自分は自分の人生に絶望しきっていましたからね。小学校時代から2つ目の大学時代までの20年間に及ぶ学生生活の中で、自分は友達を作る事が一切出来ず、その孤独感と挫折感は半端なく大きくなっていました。そしてそれと同時並行して体調もどんどん悪化していきました。さらにあの尿管結石により、家族3人に対する憎しみも「殺したい程」大きくなっており、そこでの孤独感も凄まじいものになっていました。今思い出してみますと、「あんな状態で俺よく生きてたなぁ」って感じです。もうなんかただただ生きているだけで苦しくて悲しくて仕方ない状態に突入していました。背中の慢性的な疲労感や眠気も半端なかったですし。控え目に言っても「この世の終わり」みたいな状態でしたねぇ。そもそも自分は1つ目の大学で空手部の3年間を終えた時点で鬱が3倍に悪化し、「廃人」のような状態になっていました。この廃人のような鬱状態が、2つ目の大学生活と尿管結石事件を経てさらに2倍に悪化した訳ですから、「廃人の中の廃人」みたいな状態に自分はなってしまった訳です。まぁホント「生きる屍」状態でした。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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