皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングに対して失望した話(2003年11月・27歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は自分が尿管結石をきっかけにしてカウンセリングに失望したって話でしたね。実は尿管結石によって自分に起きた変化はもう一つありましたので、今回はその話になります。それは3たびパチンコを打ち始めてしまったという事です。というか厳密に言うと自分はこの尿管結石になる1ヵ月くらい前からパチンコを打ち始めていたんですね。そう、当時の自分は2度目の大学生活も破綻し、バイト生活も全く上手く行っておらず、社会からも家族からも孤立しつつありました。ですからそんな自分にとって「パチンコ屋」だけが唯一心安らぐ場所となっていたのです。そして、自分は2000年の2度目のパチンコ生活においてパチンコで勝てるようになっていましたから、パチンコ屋に行けばお金は稼げますし、自尊心も満たされるようになっていたんですね。( パチンコ雑誌の魅力的なパチプロ達(1999年11月頃)/ パチンコで勝ち始めた話(1999年11月頃)/ パチンコⅡ期終了(2000年2月頃))パチンコ屋でパチンコを打っているお客さんの内99%のお客さんはトータル収支で負けていると思うのですが、その中で自分だけが勝ち方を知っているというのは、誇るものが何も無い自分にとって何より嬉しい事でした。ですから社会から脱落しかかっていた自分にとって唯一の居場所がパチンコ屋になっていたのです。
そんな感じで尿管結石が発症する1ヵ月くらい前から自分は3度目のパチンコ生活に突入しました。ただ打ち始めてしばらくはパチンコにのめり込まないよう注意していた記憶です。何故ならパチンコでガチで勝とうとするなら、朝9時の開店から夜8時の閉店近くまで打ち続ける必要があり、それと当時働いていた古本屋バイトを両立させようとすると、体力の無い自分にとってかなりキツイスケジュールになってしまうからです。ですから自分はパチンコにのめり込まないよう「デジパチ」ではなく「羽物モノ」を打つようにしていました。「羽物モノ」は「デジパチ」に比べると出玉の波がかなり緩やかでして、投資金額も少なく済む事が多く、短時間でも勝負できる機械として知られていました。
当時自分が打っていた「お竜さん」という羽物モノです。盤面の真ん中に「役モノ」と呼ばれる可動式の人型フィギュアがあり、その中にパチンコ玉が入ると、大当たりとハズレに振り分けられるというシステムでした。
3たびパチンコ屋に戻ってきた当初の自分は、自制してパチンコを打っていまして、1つの勝負を投資金額1万円くらいにして3〜4時間で切り上げるようにしていました。1万円投資して、勝てる時は+5000円、負ける時は-10000円くらいの可愛い勝負だったと思います。ところがまたここから自分は徐々にパチンコをのめり込んで行ってしまったのです。何故なら「『羽物モノ』で勝つにはどうすれば良いのだろう?」と考え始めてしまったから。そう、2000年の2度目のパチンコ生活において自分は「デジパチ」の勝ち方を学んだのですが、「羽物モノ」の勝ち方はまだ知らなかったのです。ここからはまたパチンコのマニアックな話になってしまうのですが、自分はパチンコの「デジパチ」においては、パチンコ雑誌に掲載されている「ボーダーライン」を上回る台を打ち続ければ勝てる事を知っていました。しかし、この「羽物モノ」に関してはパチンコ雑誌に「ボーダーライン」らしきものは書かれておらず、勝つための基準値が示されていなかったのです。しかし、パチンコ雑誌に連載しているパチプロ達は羽根モノでも稼いでいるようでした。ですから自分はこの「羽物モノ」でも勝ちたくなってしまいまして、打ちながらあれこれ考えながら打っていました。とりあえずは勝つ為の大前提として「デジパチ」と同じようにまずは抽選のチャンスを増やさないと勝てない事は分かっていましたから、1チャッカー上の命釘、ハカマ釘、そして役モノへの寄り釘などをチェックし、より役モノ内にパチンコ玉が多く入るような台を選んで打ってはいました。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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