鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

1店舗目の古本屋の話(2003年11月頃・27歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「父親とのコミュニケーションが断絶(2003年8月頃・27歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、K-1魔裟斗選手に関する父親とのやりとりをきっかけに、自分が父親とのコミュニケーションをしなくなったという話でしたね。その3ヵ月後に自分は尿管結石が発症し、入院。退院して1ヵ月後くらいからパチンコ屋を再開しました。この時パチンコを再開した理由ですが、1つ目の理由は前にも書きましたように「羽根モノで会得した期待値の考え方をデジパチにも生かしてみたい」という気持ちが大きかったです。もう1つの小さい理由としては、「今バイトしている古本屋で自分がパチンコで稼いでる話をして、自分の株を上げたい」という気持ちがありました。そう、自分は2001年2月頃からとある古本屋でバイトし始めたのですが、働き出してしばらくはそこでの居心地は悪くありませんでした。(古本屋でバイトを始めた話(2001年2月頃))自分にしては珍しく人間関係が作れている部分がありましたし、仕事内容も超楽でしたから働き続ける事が出来ていました。以前「2店舗目の古本屋の店長のプレッシャーがキツくて古本屋を辞めた」という話をしましたが(2店舗目の古本屋を辞めるまで(2002年4月〜・26歳))、その2店舗目の古本屋とこの古本屋はオーナーが一緒のいわば姉妹店という関係になります。つまり自分は2店舗目の古本屋を辞めた後も、1店舗目の古本屋では働き続けていました。1店舗目と2店舗目は姉妹店ではありましたが、この1店舗目に店長が来る事はほとんどなかったですから、店長のプレッシャーからは解放された状況でここでは働く事が出来ていました。



ですから古本屋関連の出来事を簡単にまとめるとこんな感じ。


2001年2月 1店舗目の古本屋で働き始める

2002年3月 2つ目の大学休学を機に2店舗目の古本屋で週3で働き始める

2003年4月 店長のプレッシャーに耐えられなくなり2店舗目の古本屋を辞める。しかし1店舗目の方は継続。

2003年11月 尿管結石発症で1店舗目の古本屋を2週間程お休み



そんな感じで、1店舗目の古本屋に関してはそんなに人間関係に苦しむ事もなく働き続けていたのですが(1店舗目の古本屋の雰囲気がゆるゆるだった話(2003年4月))、それも2年間も経つと徐々にしんどさが出てきていたんですね。上記の記事の中で出てきた古マンガオタクの先輩を「W先輩」、プラモデルオタクの店員を「I君」とします。自分はこの「W先輩」とはずっと気楽な関係を築けていました。そう、自分は同学年や同い年のようないわゆる「タメ口」で喋るような関係性の中では、まるで人間関係を作る事が出来ず、友達や女友達を作る事が一切出来ませんでした。それ故鬱はどんどん悪化していく一方。しかし、自分が「後輩」で相手が「先輩」という関係性は苦手では無かったのです。そう自分が敬語を使い先輩を立てるような関係は嫌いではありませんでした。それは中学、高校の吹奏楽部時代からそういう所がありました。「後輩」のポジションって先輩に敬語使って、先輩の言う事に脊髄反射的に「ハイっ」て答えていれば成立してしまう所がありますので、自分の「意志」というものが全く育っていなかった自分にとっては楽な関係性だったのです。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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