皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「6回目の大学休学(2003年4月・27歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は自分の通算6回目の大学休学についてでしたね。親を説得できるだけの言葉が無くなってしまった自分は、休学の1年間でかかる学費50万のうち25万を払う事で、休学の了承を得ました。それが2003年の4月でして、その7ヶ月後の2003年11月に尿管結石発症、2003年12月〜2月がパチンコⅢ期という事になります。そして、休学の1年間が過ぎた2004年の3月、ここで自分は大学に復学するか退学するかの選択を迫られる事になりました。そう、自分はこの2つ目の大学においては4回休学をしていたのですが、この大学の決まりでは休学は4回までで、それ以上の休学は出来ない事になっていたんですね。ですので、ここで自分は復学か退学の2択を迫られました。と言っても自分はさほど迷う事なく「退学」を選びました。何故なら自分は入学して2年目まではクラスやサークルで学校生活に馴染もうと冷や汗をかきながら、周りのクラスメートと関係を作ろうと努力しました。しかし、それらの努力は一切実らず、1つ目の大学同様、大学内で孤立。ならば古本屋バイトの方頑張って大学復学へのきっかけを掴もうと仕事を頑張ったのですが、ここでも人間関係が作れず、どんどん居心地は悪くなる一方。このような状況で大学に復学しても、大学内で自分が孤立する事は明白な気がしていたんですね。自分は大学生活に挑戦しては失敗するを何度となく繰り返していましたから、もはや挑戦する気力は残っていませんでした。という訳でほとんど迷う事なく2つ目の大学を退学したのです。
以前の記事で通算6回目の休学を決める過程において「カウンセリング」の存在が大きかったという話をしましたが、その1年後のこの「復学」か「退学」かの選択の際には、もはやカウンセリングは自分の中で大きな存在ではなくなっていました。その原因はと言いますと、尿管結石発症の際、自分はカウンセリングに失望してしまったからです。そう、前回の記事の中で当時の自分が現実の根拠に乏しい「被害妄想」に襲われるようになっていたという話をしましたが、逆にこのカウンセリングに対しては現実の根拠に乏しい「過大な期待」を持つようになっていました。ここら辺の詳しい経緯に関しては「カウンセリングに対して失望した話(2003年11月・27歳)」をお読み頂ければと思います。この尿管結石によりカウンセリングに対する「過大な期待」は「大きな失望」に変わってしまいました。よって6回目の休学を決める際にはカウンセリングは大きな役割を果たしたのですが、1年後のこの時には存在感を失っておりまして、退学を止めるブレーキには全くならなかったのです。そう、もはや自分はカウンセリングを受ける気力を無くしていました。大学を退学するとカウンセリングを受けるには街中で1時間1万円支払わなければならない状況になる訳ですが、自分は街中でカウンセリングを受けるつもりはさらさらありませんでした。自分はカウンセリングに限界を感じていたのです。振り返ってみますと自分はカウンセリングを1つ目の大学で2年間、2つ目の大学では5年間受け続けていましたが、この間自分の学生生活が向上する兆しは一切なく、逆にもがいてももがいても友達が作れず、孤独感で鬱は悪化し、心身は壊れていく一方でした。そう、カウンセリングを受け始めた当初、自分はカウンセリングに対して自分の現実生活をポジティブに変える作用を期待していました。しかし、カウンセリングを7年受け続ける間に逆に自分の状況はどんどん悪化していったのです。これ以上カウンセリングに期待する事はできませんでした。大学を退学した自分は、違った形でのカウンセリングを模索していく事になります。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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