鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

セルフカウンセリングの不思議な手応え(2004年4月頃・28歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「大学生活中のノートによるセルフカウンセリング(2000年夏頃・24歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、ノートによるセルフカウンセリングの歴史についてでしたね。そんな感じで2つ目の古本屋はノートによるセルフカウンセリングに時間を取られ過ぎてしまい、睡眠時間がなくなり、辞める事になってしまいました。2つ目の古本屋を辞めた自分は1つ目の古本屋をメインで働き出すのですが、ここも徐々に居心地が悪くなっていきまして、家族関係も悪化していき、2003年11月尿管結石発症。発症翌日、自分は前日の凄まじい痛みや発症の際父親から食らった信じられない暴言について、ノートに書かずにはおられませんでした。(尿管結石翌日の話(2003年11月・27歳))ノートには「なんなんだよ、あの痛みは、、」とか「オヤジぶっ殺す!」とか「もう2度とあんな痛みはゴメンだ」とか、そんな事を書いていた記憶です。そして、病院退院後2週間経つと自分はパチンコ屋に戻りました。そうそう、パチンコで稼いでる時も自分はノートにその日のパチンコについて詳細に書いていましたね。自分が打った台の釘の良し悪しとか、立ち回りの良し悪しとか、期待値に対する考え方とか。そして、2004年の4月に2つ目の大学を退学、という流れになります。




2つ目の大学を退学し、自分はいよいよ社会的なレールから外れてしまいました。あの頃の自分は自分の人生が社会のレールから外れてしまった恐ろしさよりも、日々の鬱症状の辛さの方が大幅に上回っていましたから、もはやレールから外れた事はどうでも良くなっていました。そんな八方塞がりの状態の自分でしたが、この「ノートによるセルフカウンセリング」には一縷の望みを託していました。というか自分にはこれしか残っていませんでしたから、ここに希望を託すしか無かったのです。そう、これまで書いてきました通り自分は2000年頃からノートによるセルフカウンセリングを始めたのですが、ノートに自分の状況や気持ちを書き続けても学校生活やバイト生活は一切改善していきませんでした。改善していくどころか、悪化していく一方。自分が6年間に渡って受け続けた大学でのカウンセリング同様、このノートによるセルフカウンセリングもまた現実に対してまるで無力でした。しかし、自分はその悪化していく一方の自分の生活状況をノートに書き続けていきました。そして、2004年4月に2つ目の大学を退学し、いよいよ自分は八方塞がりの状況に追い込まれていったのですが、この時自分は不思議な手応えを感じたのです。「あれ?俺っていつの間にか、ノートにすごく細かく自分の気持ちや状況を書けるようになってないか?」、と。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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