鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

徒労感→無力感→虚無感→自殺願望(2004年9月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「記憶のサルベージにより空手部の印象が180度真逆に(2004年9月頃・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分の中での空手部の先輩達への印象が、記憶のサルベージ前後で180度真逆に変わってしまったという話でした。そう、サルベージ以前の自分は空手部の先輩達をとても恨んでいたんですね。空手部の先輩達が強いる練習メニュー「人間サンドバッグ」がキツくて仕方なかったからです。特に空手部OBのSさんが強いる人間サンドバッグは鬼のようにしんどく、自分は恐怖のどん底に突き落とされました。これにより練習日の前夜になると自分は眠れなくなってしまい、鬱は3倍酷くなってしまったのです。




思い出してみますと、この人間サンドバッグの恐怖に対して自分がただ無抵抗だった訳ではありません。初めての人間サンドバッグが終わった直後、自分はその肉体的、精神的キツさに恐れ慄いたのですが、すぐに自分はそのキツさに対抗できるように、自宅周辺の走り込みを始めました。そうそう、最初の人間サンドバッグの後は夏休みの期間に入りまして、空手部も1ヵ月間お休みでしたから、その間自分は毎日のように1時間くらいかけて自宅の周りを走り回ったのです。加えて途中で坂道ダッシュも繰り返しました。それで心肺機能を強くし、体力を付け、人間サンドバッグで追い込まれても耐えられる身体を作ろうとしたのです。また、ジムにも通い、筋トレもしてましたし、自分の部屋でも筋トレしていました。そのようにして、来たるべき次の人間サンドバッグに備えたのですが、結果この1ヵ月の自主トレでは何一つ自分に体力が付いた実感は沸きませんでした。何故なのでしょう。今思い出しますと、自分はこの自主トレ期間中も例の鬱症状の数々に苦しんでいました。真夏に外を走っているにも関わらず、身体は冷え切っていましたし、めまいを起こしながら坂道ダッシュを繰り返していました。喘息も出ていましたね。もちろん食欲も高校時代から全消失してます。ですからそもそも自分の身体は運動をして体力を付ける以前の段階だったと思うんですよ。体力付ける云々の前に、まずは鬱病をどうにかしろという段階だったのです。(高1から始まった鬱の諸症状)しかし当時の自分は自分自身が鬱病だとは露ほど思っていませんでしたから、自分も健康な人と同じように体力増強に励めば、人並みに体力が付くと思っていました。ですのでどんなに自主トレを繰り返しても手応えは全くなく、空手部が再開しますと、人間サンドバッグへの恐怖感は全くもって減っていなかったのです。




これにより自分の中に「徒労感」が発生したのを覚えています。「えっ?!あんなに1ヵ月間必死になって自主練したのに、全くもって人間サンドバッグへの恐怖感が減ってない、、」と。この感覚は20年以上経った今でもはっきり思い出せます。この徒労感もまた自分の鬱を悪化させる要因の一つであったと思います。そしてこの徒労感により自分のメンタルはさらに衰弱し、それによりさらに人間サンドバッグへの恐怖感は高まってしまったのです。つまり、自分は人間サンドバッグの恐怖を減らそうと思って自主練したのですが、その自主練によって逆に人間サンドバッグの恐怖が増えてしまった、という事になります。自分はこの後も懲りずに自主練を繰り返しますが、やはり一向に体力や自信は付いていかず、徒労感は積み重なっていき、それは次第に無力感に変わっていきました。加えて、日々の空手部の練習においても、自分は毎日のように練習を積み重ねましたが、それにより自分に体力がついた実感や、空手が上手くなる実感は全く得られませんでした。それも無力感が増していく要因だったと思います。空手部を続ければ続ける程自分の無力感は増していき、空手部2年生の中盤くらいでそれは虚無感に変化しました。そして虚無感はすぐに自殺願望へと変化していったのです。空手部の人間サンドバッグの恐怖により発生した「徒労感」は「徒労感」→「無力感」→「虚無感」→「自殺願望」と変わっていったという事になります。そう、自分は何をやっても上手く行かない現実世界に疲れ果て、死の世界に救いを求める他無くなってしまいました。勿論これら一連の徒労感の蓄積の裏には、膨大な孤独感がありました。この「徒労感」→「無力感」→「虚無感」→「自殺願望」の変化と、「膨大な孤独感」とはコインの裏表のような関係だったと思います。問題は自分がただひたすら孤独だった、という事なのです。前回の記事でも同じような話の流れになりました。そう、自分はこの徒労感溢れる状況を誰かに相談する事が全く無かったですからね。相談しようという発想すらそもそも無かったのです。ですから、徒労感が蓄積していけば行く程、孤独感も増していき、それらは自殺願望へ繋がっていったのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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