鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

鬱まみれの青春(2004年9月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 徒労感→無力感→虚無感→自殺願望(2004年9月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が人間サンドバッグの恐怖を乗り越えようと色々自主練したものの、全く歯が立たなかったという話でした。そして、それにより徒労感がどんどん増えていき、徒労感→無力感→虚無感→自殺願望とレベルアップしていった、と。懐かしいですねぇ。結果空手部の3年間で鬱が3倍に悪化してしまいました。そうこの、「鬱が○倍」という表現が出てきたのも記憶のサルベージの中からです。自分は高校時代にすでに鬱を発症していたのですが、これが空手部の3年間で明らかに悪化した印象だったんですね。それでこれをどう表現すれば良いのか考えた時に「数学的に表現すればいいじゃん!」って閃いたのです。それで高校時代の自分の中の鬱量と空手部引退後の自分の中の鬱量を比較してみると「3倍」大きくなった印象でしたので、この表現が生まれました。鬱の大きさを数学的に表現するこのやり方、我ながらなかなか良いアイデアだと自負しています。この手法を使えば自分の鬱が高校時代の何倍まで悪化したのか一目瞭然です。自分の鬱は空手部の3年間で3倍に悪化しまして、さらに2つ目の大学生活と尿管結石により2倍悪化しました。よって2004年時点で「3×2=6」で6倍にまで悪化しているという事になります。分かりやすい!




さて話は空手部時代の話に戻ります。記憶のサルベージをした結果、先輩達への印象が180度真逆に変わってしまったという話を前々回させて貰いました。あれも衝撃的な結論でしたねぇ。その結論とは「人間サンドバッグの恐怖で鬱が3倍になった責任は、それを強いた先輩達にあったのではなく、その恐怖を周りと共有出来なかった自分のコミュニケーションの無さにあったのだ。」、です。そして、その結論が出ると、それまで先輩達に感じていた「死刑執行人」のような恐怖のイメージは一気に無くなっていきました。さらに自分の中にこういう思いが浮かんできたのです。「あぁ空手部当時には人間サンドバッグの恐怖に心奪われて全く気付けなかったけど、実は俺って先輩達に色々可愛がって貰っていたんだな」、と。そう、特に1つ上の先輩達が自分達にすごく目をかけてくれた事を思い出しました。ご飯に何度も連れて行って貰っていましたし、カラオケやボーリングにも何度も連れて行って貰っていました。歌舞伎町の卓球場で徹夜で卓球やったのも良い思い出です。また、ゲーム好きな先輩が多かったですから練習後ゲームセンターで会う事も多かったですし、先輩の家にお邪魔して対戦格闘ゲームバーチャファイター2」を5人くらいで徹夜でプレイする事もありました。1つ上の先輩達は8人くらいいたのですが、まず先輩達同士がすごく仲が良かったですし、後輩である我々にもとても暖かく接してくれていたのです。これらの事柄って自分が空手部の現役だった頃には全く気付けていなかった事でした。先輩達同士の仲の良さも、先輩達が自分達を可愛がってくれている事も当時は全く気付けていなかったのです。そう、当時の自分の頭の中は120%人間サンドバッグの恐怖で占められていましたからね。これらの事実に全く気付けていなかったどころか、この先輩達にも「死刑執行人」のような恐怖のイメージを持っていたのです。




記憶のサルベージにより自分はこれらの先輩達との良い思い出を思い出したのですが、それと同時にとても残念な気持ちになったのを覚えています。もし、空手部の現役当時に自分に対して先輩達が様々な気遣いをしてくれている事に気付けていれば、先輩達と良い関係を築けた事は間違い無かったからです。それらに気付けていれば、自分は先輩達にとても感謝したはず。自分は先輩達に不義理をしてしまったのだなぁとも思いましたね。当時の自分は先輩達にそれだけ色々目を掛けて貰っていたのに、感謝の気持ち一つ持った事が無かったですから。ここら辺の後悔する気持ちは同学年の空手部員にもありました。自分が空手部に入部した際、自分と同学年の男子は5人程いたのですが、自分は彼らと全くコミュニケーションを取る事が出来ず、彼らは徐々に空手部を辞めていきました。自分にコミュニケーション能力があり、彼らとコミュニケーションが取れていれば、練習の辛さや人間サンドバッグの恐怖を分かち合えていたかもしれない。そうなると自分の空手部の3年間は全く違うものになっていた可能性もあるのです。そう、実際の自分の空手部の3年間はただひたすらに鬱が3倍悪化した不毛過ぎる3年間でしたが、もし自分にコミュニケーション能力が備わっていれば、いわゆる「青春」のようなキラキラした3年間を送れる可能性もあったのです。同輩や先輩と励まし合って一つの目標に向かって努力し続けるような青春。自分は記憶のサルベージをしていて自分にもそのような青春を送れるチャンスがあった事に気付きました。そして同時にコミュニケーション能力の無さからそのチャンスを見事に潰してしまっていた事にも気付いたのでした。




実はここら辺の話は一度こちらの記事でも書いているのですが、ほぼほぼ同じ話を今回もう一度書きたくなってしまいました。それだけこの空手部に関する無念な気持ちが大きいんですね。何故なら今となっては自分この空手部の事が大好きですから。あれはかけがえのない3年間でした。空手部引退直後の自分からするとただただ不毛な3年間でしたが、今振り返ってみますと、文字通り「必死」に自分なりに頑張った3年間でもありました。いわゆるキラキラした青春とは真逆の、孤独と恐怖にのたうち回っただけの3年間でしたが、あれはあれで自分なりの青春だったのです。ホントに懐かしい鬱まみれの青春でした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m




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