皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「鬱まみれの青春(2004年9月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、空手部の3年間はあれはあれで自分なりの青春時代だったという話でした。懐かしいですねぇ。今でも自分はこの1つ目の大学が懐かしくて、1年に1回くらいは見に行ってしまうんですよ。そして、大学の構内を歩き回っては「あぁこの剣道場での練習が辛くて仕方なかったなぁ」とか「この坂道で何本もダッシュしたなぁ」とか懐かしく思い出しています。大学内を歩き回っていて素晴らしいなと思うのは、自分がこの大学を中退してから20年以上経っているにも関わらず、大学内の建物の7割くらいは当時のものが残っている事です。もちろん建て替えられて近代的なビルになっている校舎もあるのですが、7割くらいは20年前のまんまの校舎がそのまま使われていまして、歩いているとまるで20年前にタイムスリップしたかのような感覚が楽しめます。ツタの生えた当時から古かった校舎もそのままですし、空手部の恐怖におののきながら、練習開始までの時間を潰していた図書館もそのまま残っています。ですから大学内のメインストリートを歩いていると、今にも建物の影から道着姿の先輩達が現れそうで、それもとても面白いのです。また、自分の通っていた大学は東京の都心にある大学でしたから、ついでに東京の街をブラブラできるのも楽しい所。そうそう、去年の今頃自分はこの大学に両親を連れて行ったんですよ。自分はサルベージを終えた後、うちの両親に自分がどのように鬱い人生を送ってきたのか、詳細に語って聞かせました。ですからうちの両親は空手部の3年が自分にとってどういうものだったのか、理解しているんですね。人間サンドバッグの件ももちろん知っています。ですから自分は自分がどのような場所で鬱を悪化させながら頑張っていたのか実際に見て貰いたくて、去年両親を大学に連れて行きました。そして、自分は両親を剣道場などの空手部所縁の場所やカウンセリングセンターに連れて行ったんですね。もちろんどの場所も当時のまま残っていました。その最中、自分の心の中にはとても感慨深いものがありましたねぇ。まさか自分が両親にこれらの場所を紹介出来る様になるとは。なんせ一時期の自分の両親への憎しみと言ったら「殺しても殺し足りない程」でしたからね。そこの精神的葛藤を乗り越え、両親となんのわだかまりの無い状態でこの思い出深い場所を訪れる事が出来たのは、自分にとってとても嬉しい事でした。(正確に言えば、自分は父親に対してはまだわだかまりがありますw)そして、母親を空手部の道場に案内しましたら、感極まった表情で「ここが〇〇が頑張っていた場所なんだね」と言ってくれたのもとても嬉しかった。それで大学内を一通り案内した後は大学近くの観光名所を3人で楽しみ、最後に高級なホテルでご飯食べて帰ってきました。あれはホントに良い1日でしたねぇ。
そういえば3か月程前にふとしたきっかけで当時同じ大学に通っていた3つ下の女性と知り合う機会が現実世界でありまして、あれも嬉しかった。なんか色々雑談していましたら、偶然にも同じ大学に通っていた事が判明しまして、超びっくり。「こ、こんな所で同窓生と出会うとは!!」って感じでしたね。大学当時の自分と言えば、同級生の男の子とすらまともにコミュニケーションが取れていなかったですから、女の子となんてなおさらほとんどコミュニケーション取れていなかったんですね。4年間大学に通っていて、女の子と喋った時間は合計1分にも満たないのではないかと思います。しかし、今回ふとした機会に同じ大学に通っていた女性と知り合いまして、当時の大学内の話を色々お話しする事が出来ましたから、なんか妙に感慨深い気持ちになったのを覚えています。「あぁ俺20年前には喋りたくても全く喋れなかった同じ大学の女の子と、20年越しに色々喋れてるなぁ」、と。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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