皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「学校生活の記憶がほとんど残っていない事に気付く(2004年10月頃・28歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は自分が小学校3年生付近の記憶を言語化していく中で、様々な事に気付いていったという話でした。気付いた事は以下の3つになります。
「家庭内で学校生活についての会話をした記憶が無い」
「自分の中に学校生活に関する記憶がほとんど無い」
「自分の周りから大人の目線が全く無くなってしまった」
そして、自分はこの3つの事象の間にはなんらかの因果関係があるのではないかと考え始めたのでした。そこで、1つ目(「家庭内で学校生活についての会話をした記憶が無い事」)と3つ目(「自分の周りから大人の目線が全く無くなってしまった事」)の因果関係を考え始めたのですが、これは割合簡単に因果関係が結べました。3つ目の中の「自分の周りにいる大人」とは「父親」と「母親」の2人しかいなかった訳ですが、これまで書いています通り、この2人は父親が開業した事でめちゃくちゃ忙しくなりました。加えて、2人の関係も父親方の親類問題で急激に悪化していったのです。そこで自分は当時の我が家の「食卓時の記憶」を言語化してみる事にしました。食卓の時間と言えば家族の時間の中で最も会話をし易い時間帯だと思ったからです。ところが思い出してみると、そのような時間でもうちの両親は医院の事や親族関係の揉め事の方に完全に意識が行ってしまっていて、子供の方には全く視線が向いていないんですね。さらには些細な事ですぐに言い争いが始まり、それはお互いの人格やバックグラウンドを否定し合うガチの殴り合いのような激しい喧嘩に必ず発展していました。故に食卓の雰囲気は喧嘩をしていない時でも常にピリついており、一触即発状態。ですから自分はこの食卓の時間に両親から学校生活についての質問を受けた記憶が全くありません。そして、自分は自発的に自分の事を話すような子供でもありませんでした。両親が一触即発状態の中で自発的に自分の事を喋るなど、とても恐ろしくてできる訳が無いですし、そもそも自分には自己表現能力が全く育っていなかったのです。食卓以外の時間についても両親の視線が自分に向く事はほとんど無く、自分は家庭内で学校生活の会話をした記憶が全くありませんでした。
そう自分は家庭内における会話に関する記憶をサルベージしてみた結果、「あぁ、この頃の自分の周りには自分に興味を持ってくれる大人が全くいなかったのだなぁ。」と、強く感じました。子供の自分に興味を持ち、問い(例えば「今日は学校でどんな事があったの?」)を投げかけてくれる大人が全くいなかったのだな、と。それはつまり、子供の自分から言葉を引き出してくれる大人が全くいなかったという事であり、それにより、自分は自己表現をする機会を家庭内で全く持てなかったのだな、とも思いました。言い換えますと、子供の自分は家庭内で自己表現をする訓練を全く積めなかったという事になります。その後自分は開業以前の幼稚園時代や小学校低学年時代の記憶も言語化していったのですが、家庭環境が比較的マシだったと思えるこの時代でも、自己表現する機会が家庭内でほとんど無かったようでした。そもそも開業以前からうちの父親は子供に対して全く無干渉で空気みたいな存在でしたし、母親の視線も3歳歳下の妹の方に向きがちでしたからね。そして、周りに親類縁者や親の友達などの他の大人の存在も皆無。そう、自分は幼い頃の家庭内の記憶を言語化していく中で「自分は両親から興味を持たれていなかったし、また両親以外の大人の存在も全く周りに居なかった。故に、自己表現の練習をする機会が圧倒的に少ない子供だったらしい」という印象を持っていくようになります。ただし、両親に興味は持たれてはいませんでしたが、親からいじめられたり、虐待されたりというような記憶は全く出てきませんでした。また、衣食住の環境に関しても良いものを提供して貰っていたと思います。しかし、ただひたすらに自分という存在に興味を持ってくれる大人は周りに全くおらず、それ故に自己表現能力が育って行かなかったであろう状況が推測できたのです。そして自己表現能力が全く育たない状態のまま、自分は「学校」という「社会」に投げ込まれたのだ、とも思いました。
時系列は一気に進みまして、その後の自分は大学3年生の時にカウンセリングを受け始めまして、そこで生まれて始めて「自己表現する事」を覚えたのですが、カウンセリングの初回で先生が自分に発した「今日はどうしました?」という第一声、自分はこの問いを聞いた途端に号泣し始め、それは1時間止まりませんでした。自分は生まれて初めて人の暖かさに触れたような気がしたのです。そう、自分が長年渇望していたのはまさにこのような「問い」や「自分に対する興味」であり、自分に対する暖かな視線だったのです。そして、それらが幼い頃の自分の生育環境には圧倒的に少なかった、という事が徐々に明らかになっていったのでした。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m
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