鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

精神年齢の成長が小3で止まっていた事を認めざるを得ない②(2004年10月頃・28歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「精神年齢の成長が小3で止まっていた事を認めざるを得ない(2004年10月頃・28歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が記憶のサルベージを進める中で、自分自身の精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていた事を認めざるを得なくなっていった、という話でした。そう、この仮説を思い付いた当初はこの仮説を認めたくない気持ちでいっぱいだったのですが、小学校、中学校、高校、大学の記憶を言語化していく中で、それを認めざるを得なくなったのです。「なるほど!精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていたから、学年が進むにつれ、周りとのコミュニケーションがどんどん難しくなっていったのか〜〜!」、と。これはホントに複雑な気持ちでしたね。自分の精神年齢が小3以降成長していなかったという事を認めなければならないのはとても辛い事でした。ただ一方で自分の人生の謎が解けていく気持ち良さもとても大きいものだったのです。割合にすると辛さ50%、気持ち良さ50%と言った所。そう、記憶のサルベージをしていた頃、自分が風呂場で頭を洗うのは月に1度くらいのペースだったのですが、その時に頭を洗いながら「あ〜、ここから人生を小学校3年生からやり直さなければならないのか〜」と絶望的に気が遠くなった記憶があります。28歳にもなって小学校3年生から人生をやり直さなければならないなんて。しかも長年の鬱で心身はぶっ壊れまくっていますからね。




さて、精神年齢の成長が止まっていた話はここで一端横に置きまして、ここでいつもの「記憶のサルベージを始めて以来衝撃を受けた事柄一覧」のコピペを貼らせて頂きます。



「記憶のサルベージを始めて以来衝撃を受けた事柄一覧」



・自分の過去を振り返ろうとすると、視界0mの超濃霧状態で全く自分の過去を見えない。(過去を振り返ろうとするも視界0mの超濃霧状態で後ろが全く見えない(2004年4月頃・28歳))




・自分の食欲が高校以来全く無くなっていた事に気付き、自分が長年鬱だった可能性に気付く。(高校時代以後食欲が一切無くなっていた事が異常だったと気付く(2004年9月頃・28歳))


・自分が長年鬱だった可能性が出てきた事で、「自分は本質的に極度に劣っている人間なのでは?」という思いが若干薄らぐ。(自分が長い間鬱であった可能性が出てきてホッとした(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生以前の記憶と、小学校3年生以後の記憶とでは、明らかに色合いが違う事に気付く。小3以前はフルカラーなのだが、小3以降は灰色一色。( 小3以前の記憶⇒フルカラー、小3以降の記憶⇒灰色(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生付近の記憶を言語化してみると、小学校3年生以降自分の家庭が戦争状態に突入した事を思い出す。(小3を起点とする記憶の色の違い=小3時の家庭環境の急激な悪化(2004年9月頃・28歳))


・若かりし頃の両親の写真を見て号泣。(若かりし頃の両親の写真を見て号泣(2004年9月頃・29歳))

・自分が長年虚構の体力と自信を心の支えにして生きてきた事に気付き、それと決別。(空手部時代を評価④(2004年9月頃・28歳))


・大学空手部の印象が180度真逆に変わる(記憶のサルベージにより空手部の印象が180度真逆に(2004年9月頃・29歳) )


・大学3年次に受け始めたカウンセリングの初回、号泣し続けた事を思い出す。(カウンセリング初回、号泣し続けた話(2004年10月頃)カウンセリング初回に号泣した理由(2004年10月頃・28歳))


・自分の精神年齢の成長が小3で止まっていた可能性に気付く。(精神年齢の成長が小3で止まっていた事に気付く②(2004年10月頃・28歳))


↑コピペここまで。



どの項目も自分にとっては衝撃的な事柄でした。ただ、こうやって見比べてみますと一番衝撃的だった気付きは、最後の「・自分の精神年齢の成長が小3で止まっていた可能性に気付く。」です。なんというかこれまでの自分の人生を一度全否定するような意味合いがありましたからね。「これまで俺は鬱で心身がぶっ壊れまくるまで必死で生きてきたけど、それは一体なんだったんだ、、」という感じ。このように過去の記憶を言語化していけばいく程、自分の精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていた事が確定的な状況になりつつあったのですが、一方で自分は別の希望も見出しつつありました。そう、自分の精神年齢の成長が小学校3年生で止まってしまったのは、人生経験の蓄積が小学校3年生で止まったからです。少年時代の自分は身の回りで起こる様々な出来事を一切言語化せず生きてきました。故に記憶はうすらぼんやりとしたか残らず、また自己認識レベルもうすらぼんやりなままで年齢を重ねる事になってしまったんですね。しかし、2004年の自分が行なっていた「記憶のサルベージ」という作業は、このうすらぼんやりとした記憶と自己認識を言語化していく作業でした。これにより少年時代にまるで言語化できなかった記憶を20年ぶりに言語化する事になりました。そう、20年前に全く言語化出来なかった経験を言語化する事で、「経験の蓄積」が始まり、自分の精神年齢が成長していく可能性があるように思えたのです。少年時代の自分が全く出来なかった「経験の言語化」を、20年後の自分が代わりにやってあげる事で、精神年齢の成長が見込めるのではないか、と。そんな思いで自分はさらに記憶のサルベージを続けていきました。そう、全くもって思い出したくもない、小学校、中学校、高校時代の失敗の記憶の言語化を。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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