鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

高1時の暴言事件により鬱を本格発症⑤(2005年3月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「高1時の暴言事件により鬱を本格発症④(2005年3月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、高1の時に起きた暴言事件の後の話でした。事件の詳細はこちらです。



〜高1で鬱を発症するきっかけとなったとある暴言⑥〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード16



〜高1で鬱を発症するきっかけとなったとある暴言⑦〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード17



〜高1で鬱を発症するきっかけとなったとある暴言⑧〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード18


暴言事件後の話




事件の概要としましては、「自分が吹奏楽部の男の先輩達と喋っている時にエグ過ぎる性的な冗談を言ってしまい、だだ滑りしてしまった。」、です。事件の後の自分の心の中には巨大な不安と巨大な悲しみが発生しまして、自分の脳内は超パニック状態に陥りました。さらに自分はこの事件について誰にも相談する事が出来ませんでしたから、超パニック状態が延々と続く事となったのです。これにより、自分はクラスメートの男子とのコミュニケーションがいよいよ困難になり、クラス内の人間関係から脱落する事になりました。具体的に言いますと、授業が終わり休み時間になると、寝たフリをするか、本を読んでいるフリをするか、図書館に逃げるか、という状態になってしまったのです。




そう、あの暴言事件は部活の時間の中で起こったものですから、これにより部活での時間がとても不安で悲しいものになるのは当然でした。あの事件によって自分の心の中には巨大な不安と巨大な悲しみが発生しましたからね。ただ、あの事件の影響はあまりにも大きいものでしたから、部活以外の学校生活、つまりクラスでの時間もとても不安で悲しくて仕方がないものになってしまったのです。そうなると自分は学校にいる間中ずっと針のむしろ状態になってしまいました。そこまで苦しいのなら、部活や学校を辞めてしまえば良いと思いますが、当時の自分の中にはそのような選択肢は全く無かったんですよ。当時の自分はただただそれらの苦しさに耐える以外の選択肢を思いつかなかったのです。そう、これも「この事件を誰にも相談できなかった」弊害なのではないかと思います。自分はこの事件を誰にも相談できませんでしたので、心の中の巨大な恐怖と巨大な悲しみが一向に減る事がありませんでした。故にいつまで経って頭の中は超パニック状態が続きまして、この事件を整理したり、整理した上で対策法を考えたり、といった思考が全く出来なかったのです。そう、脳内が超パニック状態の中では「辞める」という選択肢を考える事すら自分には不可能でした。故にその状態の中で自分が取れる唯一の選択肢は「ただただ耐える」しか無かったのです。




このように事件後の自分の心の中に「部活を辞める」や「学校を辞める」という選択肢が思い浮かぶ事はなく、ただただ漆黒に塗り潰された学校生活を耐える以外になかったのです。そして、これにより自分の鬱が本格的に発症する事になりました。その4つの症状がこちらです。



・慢性的な食欲消失

・日曜夜ごとの激しい喘息

・突発的な酷い目まい

・慢性的な疲労感と眠気



まず暴言事件との因果関係が説明し易いのが「日曜の夜ごとの激しい喘息」と「慢性的な疲労感と眠気」です。そう、先程も書きましたように学校生活において自分の心の中は「巨大な恐怖」と「巨大な悲しみ」にずっと占領され続けていました。そして、それに対する身体の反応として「日曜夜ごとの激しい喘息」が発生したと自分は考えます。振り返ってみますと、自分は幼い頃に喘息を発症しまして、小学校3年生でそれは悪化しました。それは学校生活の半分を休まねばならない程の激しさでした。その喘息は中学に入ると小康状態に入ったのですが、高校に入りあの事件が起こると再び急激に悪化しました。しかも「日曜夜」に悪化する事がとても多かった。何故「日曜夜」なのかと考えてみますと、それは月曜から「学校」が始まるからです。日曜日は家にいて、学校生活の事を少しは忘れられますが、月曜日になると自分は学校生活を再開せねばならない。ですから日曜夜になると自分の心の中には「巨大な不安」と「巨大な悲しみ」が発生しまして、それに対する身体の反応が「激しい喘息」だったのだと思います。そうでないと「何故激しい喘息が発生するのが、いつも日曜夜だったのか?」の説明が付かないんですね。




ちなみに平日の夜にはそんなに喘息が起こっていた記憶がありません。月曜になり学校が始まると自分は「観念」し、「諦めるしかない」状態になっていた記憶です。そう、事件後の自分には「逃げる」という選択肢がありませんでしたから、ただただ「巨大な恐怖」と「巨大な悲しみ」に心を蹂躙され続け、それに耐えるしかなかったのです。ですから事件後の自分は学校において死んだような気持ちで過ごす他ありませんでした。そしてそんな「死んだような気持ち」から喘息は発生しなかった記憶です。しかし、逆に日曜日だけはホントに待ち遠しくて仕方が無かった。日曜日だけは「生きている」実感がありました。つまり当時の日曜夜ごとの激しい喘息は、月曜日からの学校生活に対する身体からの激しい拒否反応であったと考えられます。そう、学校生活で感じる「巨大な不安」と「巨大な悲しみ」、これに対する身体の拒否反応が「日曜夜ごとの喘息」だったのです。よって当時の自分の喘息の原因は、学校生活における「巨大な不安」と「巨大な悲しみ」にあり、故に当時の喘息は100%「心因性の喘息」であった、と自分は推測しています。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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