鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

小3以前の記憶をサルベージ(2005年7月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 記憶のサルベージ終盤戦(2005年3月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、記憶のサルベージがいよいよ終盤戦に入ったという話でした。そう、残す記憶は小学校3年生以前のものを残すのみになっていたんですね。果たして幼い頃の自分はどのような子供だったのか、そして家庭環境はどうだったのか、自分の興味はその2点にありました。そう、自分の育った家庭環境は小学校3年生の時に急激に悪化し、それにより自分の人生は滅茶苦茶に破壊されたと言って良いのですが、それ以前はどのような家庭環境だったのか、そこの言語化は欠かせないものだったのです。ここで自分は記憶のサルベージ初期の衝撃を思い出していました。それは「小学校3年生以前の記憶と小学校3年生以降の記憶では記憶の色が全く違う!」というモノでした。( 小3以前の記憶⇒フルカラー、小3以降の記憶⇒灰色(2004年9月頃・28歳))小学校3年生以前の記憶はフルカラーで色が付いているのですが、小学校3年生以降の記憶は全く色が落ちて灰色なのです。これは小学校3年生以前の生活の方が、まだマシだった事を示唆していると思いました。そこで自分は小学校1、2年生の頃の記憶を思い出して言語化してみたのですが、確かにこの時代の自分は楽しく学校生活を送っていたようなのです。学校へ行く事を楽しみにしている記憶もありました。そして、思い出してみますと家庭環境も比較的安定していたのです。この頃の父親はまだ開業をしておらず、仕事でそこまでプレッシャーがかかる状態ではありませんでした。父親は相変わらず子供には全く興味の無い人間で彼との思い出はほとんどありませんでしたが、少なくとも小3以降に比べれば夫婦仲は格段に落ち着いていたのです。そんな家庭環境を反映したのか、この頃は自分の心身も比較的落ち着いていまして、学校や住んでいたマンションにはよく遊ぶ友達がいました。




そう、小1、小2の記憶を言語化してみますと、自分の人生の中ではホントに珍しく「キラキラ」している印象がありました。もちろんしっかり記憶に色も付いています。こんな期間は後にも先にもこの2年間だけです。そう、中には女の子と遊んだ記憶もありましたからね。自分が人生の中でまともに女の子とコミュニケーションが取れたのはこの2年間だけだったと言って良いと思います。加えて同じマンションに住む同学年の友達とザリガニ釣りをしたり、ピンポンダッシュしたり、ファミコンしたり、子供らしい楽しい記憶もありました。そうそう、この頃一番仲良くしていた友達はクラスの中でリーダー格の男の子でしたから、その子と仲良くしていた自分もクラス内でのヒエラルキー上位にランクされていた記憶です。高校時代にはヒエラルキー最下位に転落していた自分にもこんな時代があったんですねぇ。この頃からすでに喘息は出ていたのですが、小3以降のそれと比べると全然症状は軽く、学校生活への支障は全くありませんでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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