鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶のサルベージ最中の家族への憎しみ②(2005年7月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「記憶のサルベージ最中の家族への憎しみ(2005年7月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は記憶のサルベージがようやくゴールを迎えつつあったという話と、サルベージ中の家族への膨大な憎しみについてでした。あの憎しみはホントエグかったです。憎しみのあまりガンガン壁を叩いたり、床をドンドン踏んだりした事も数知れません。そう、それで思い出したのがワールドカップについての記憶です。確か2006年はワールドカップがあった年でして、サルベージをしていた2005年もアジア予選かなんかでサッカーが盛り上がっていたんですね。それでうちの母親はそういうお祭り的なイベントが好きですし、妹も好きですから、日本戦の日は2人が盛り上がってる様子が壁越しに伝わってくるんですよ。これがもう自分にはキツくて仕方無かった。あれはマジで気が狂うかと思いました。こちらは一人孤独に過去のトラウマをナイフで抉り出し続けてるというのに、あの2人は呑気にサッカー観戦ですからね。しかもサッカー戦が行われる時間が、深夜の2時とか3時とかの時があってこれもさらにキツかった。通常この時間は家族が寝静まり、自分だけがのびのび起きていられる比較的居心地の良い時間だったのですが、日本戦が始まるといつもの静寂はぶち壊され、それに対しても自分はマジでブチギレてました。暴走しそうな憎しみを抑えつけるのが大変だった記憶があります。




前回の記事において、「記憶のサルベージを続ける中で家族に対する『殺したい程憎い』という気持ちが、増える事はあっても減る事は全く無かった」、と書きました。それはホントにそうだったのです。何故なら記憶をサルベージしていけばいく程、「あれ?俺が学校生活を送る中で周りと全くコミュニケーションが取れなかった理由って、俺自身が本質的に激しく劣っていたからではなく、家庭環境が本質的に激しく劣っていたからじゃね?」と思うようになっていったからです。これにより自分の人生が滅茶苦茶に破壊された原因が家庭環境にあった事が明確になっていきましたので、両親への憎しみが増える事はあっても減る事はありませんでした。また、以前の記事の中で自分の最も古い記憶について書きました。自分は3歳頃に起こったとある事件をきっかけにして、感情表現を一切辞めてしまったのですが、この事件に大きく影響していたのが、「妹の誕生」だったのです。(〜自分の喘息=心因性説〜小3以前の記憶をサルベージ④(2005年7月頃・29歳))そう、当時うちの母親は妹を出産したのですが、これによりただでさえ余裕の無い子育てをしていたうちの母親はさらに余裕を失ったようなのです。そして、うちの父親はそもそも子供に対して冷酷な人でしたから、結果自分の事を見てくれる大人が周りに誰も居なくなってしまった。前にもお話しましたが、我が家は親類縁者が誰もいない土地で暮らしていましたからね。そして、その様子を感じとった自分は一切のわがままや甘えや感情表現を辞めてしまったのです。




この記憶を言語化した際、自分はこう思ったのです。「もし妹が産まれていなければ、どうだったのだろう?」、と。もしそうだったとしたら、うちの母親が余裕を失うような事態は起こらず、子供の自分が感情表現を諦めるような事も起こり得なかったように思えました。また、妹が産まれていなければ、母親の視線を自分が独占し続けれる訳で、そうすれば自分は母親の愛情を得る事が出来、もう少しマシな人生を送れていたような気もしたのです。そう、妹が産まれた事で自分は母親という唯一の愛情を与えてくれる存在を妹に奪われたような状態でしたからね。なんというか少ない「子育てリソース(資源)」を巡って兄妹間で争いが起き、当然ながら後から産まれた妹の方がそれを奪っていった、とも言えます。また、妹と母親は「同性同士」でしたから、そこでの関係性も深くなっていき、そこに対しても自分は無意識的に激しく嫉妬していました。だって自分の同性である父親は、子供の自分に対して全くもって冷淡そのものだったからです。そしてリソース争いに負けた自分は、大人の視線が全く届かない中、コミュニケーション能力が全く育たず、精神年齢の成長が小3でストップ。その後の学校生活において周りと全くコミュニケーションが取れず、ただひたすらに鬱が酷くなり、自殺だけが心の支えの人生を送る羽目になった、という流れになります。こう考えると妹に対する恨みがさらに増えるような感じがありました。もちろん俯瞰で考えると、この件において責任があるのは少ない子育てリソースしか提供出来なかったうちの両親にあります。ただ後から産まれただけのうちの妹に責任があるはずもありません。(後にうちの母親も全く責任が無い事が分かっていきます。)ただね〜、これ論理的に分かってはいても、いざ実際に生活をしていく中だと感情的に妹への憎しみが湧いてしまうのです。特にサルベージの最中、妹と母親が仲良さそうにしている様子が感じられると発狂しそうな苦しさがあったのを覚えています。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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