鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

1年ぶりの遠出③(2005年8月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「1年ぶりの遠出②(2005年8月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が1年ぶりの遠出に出掛けたという話でした。1年に渡って引きこもっていた間、外出自体は2ヶ月に1度くらいの割合でしていたんですね。必要最低限の買い出しの為に筆記用具を買ったり、雑貨を買ったりで往復1時間くらいの外出でした。当時の自分は超虚弱状態ですから、それくらいの外出でも疲れと睡眠不足と不安感でフラフラしながらしていた記憶があります。対して、今回の遠出は、片道だけで1時間半かかる大冒険です。しかも電車に乗るのは1年ぶり。これを決行するのはかなり勇気が必要で、自分は2〜3週間悶々としていたのです。そして、ある朝「これ以上体調が良くなるのを待っていられない!」と決意し、外出したのでした。2005年の8月頃の話になります。




自分は電車を乗り継ぎ1時間半、目的の大学の最寄駅に着きました。自分が今回この大学を訪れた目的は「自分が1年半に渡って書いてきた記憶のサルベージ(言語化)が、『妄想』では無かった事を確認したい!」というものでした。そして、大学が見える場所に着き、視線をそちらに向けますと、果たして自分の記憶通りの場所に記憶通りの校舎がちゃんと存在していまして、自分はホッとしました。お馴染みの校舎は朝の光に照らされとても美しく見えました。それ共に自分は猛烈な懐かしさに襲われたのです。「あぁあの場所て、俺は3年間血と汗と涙を流し続け、鬱が3倍に悪化したのだ!」、と。




自分はこの大学を中退した後、1年に1回くらいの割合でこの大学を訪れてはいました。何の為に訪れていたのかと言いますと、漠然と「あぁもう空手部は引退したから、あの練習の恐怖には怯えなくて良くなったんだな」という解放感を味わいに行っていたのです。その時の自分はこの大学の空手部でいかに自分が心身を壊していったのかは全く理解していませんでした。そして、サルベージの1年間を経て、訪れた大学は全く違う見え方をしたのを覚えています。そう、自分は記憶の言語化によりこの大学の3年間が自分になにをもたらしたのか、正確に因果関係を把握していました。この3年間、自分は空手部の練習メニュー「人間サンドバッグ」の恐怖により、膨大な不安感と孤独感に晒され続け、夜眠れなくなってしまったのです。結果鬱が3倍に悪化、鬱の諸症状も3倍に悪化しました。その鬱の諸症状がこちら↓になります。



・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎




自分は記憶の言語化を進める事で、大学時代の自分がこれらの苦しみに七転八倒していた事を理解しました。そして、それがさらなる転落へと繋がっていった事も理解したのです。そう、この空手部の3年間が自分の人生に与えたネガティブインパクトは甚大でした。これらを理解した上で見る大学は、それまでとは全く違う意味合いで見えました。「まさに自分はあの場所で3年間恐怖と孤独に苦しみ続け、七転八倒し、心身がさらにぶっ壊れていったのだ!」、と。そんな感慨を抱きながら、自分は大学の門をくぐり、因縁の空手部の道場に向かったのでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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