鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

1年ぶりの遠出⑧(2005年8月頃・29歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「鎮魂とカウンセリングセンター〜1年ぶりの遠出⑦(2005年8月頃・29歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、29歳の自分が大学のカウンセリングセンターを訪れた、という話でした。自分はあの場所で生まれて初めて「自己表現」する事を覚えまして、それが後々大きな財産となっていきました。自分の「自我」はあそこで芽生えたようなものでしたから、思い入れも格別でした。さて、カウンセリングセンター前でひとしきり感慨にふけった後、自分は次なる目的地「部室棟」に向かいました。この場所にも自分の怨霊が沢山いそうな気がしたのです。現役当時、自分は毎日のようにここに出入りし、練習用のミットを準備したり、雑用をしたりしていましたからね。また、部室と同じフロアにはウェイトトレーニングルームがあり、そこで筋トレをしていた記憶もあります。そして、どの記憶においても、自分は空手部の恐怖と孤独により精神を病みまくっており、それによる慢性的な疲れと眠気と冷えで心身は耐え難いダメージを受け続けていたのです。そう、やはりここにおいても当時の自分は怨霊のようにうめき声を上げ苦しみ続けていました。そこで自分は当時の自分一人一人に語りかけ、自分の怨霊を慰めていきました。




そんな感じで自分は当時の自分を鎮魂しながら、空手部の部室周辺をうろうろしました。空手部部室周辺の雰囲気は当時のまま残っていまして、懐かしくて感慨深い気持ちもありました。そう、この時点で自分が大学を中退して8年が経っていたのですが、大学の内部は8年前とほとんど変わらない様子で残っていたんですね。ですから自分はまるで8年前にタイムスリップしたような気分を味わう事が出来ました。蔦の絡まる校舎、メインストリート、広場、講堂、図書館、体育館、部室棟、教室、学食、ゼミ部屋、ほとんど全ての場所が8年前と様子が変わっておらず、昔を思い出すにはうってつけの状況でした。そこの通路の曲がり角を曲がると、今にも顔見知りの空手部の道着姿の先輩が出てきそうな感覚さえあり、そのタイムスリップ感覚は楽しいものでした。




自分は部室棟を後にしまして、ゼミ部屋や図書館や講堂などにも足を向けました。それらの場所でも自分の怨霊が苦しんでいましたから、一つ一つ鎮魂していきました。これらの場所を周り終わりますと、大学構内で見たい場所は一通り見た感じでしたね。自分としては「購買」にも思い出があり、見たかったのですが、そこだけはもう建物が無くなっており、見る事が出来ませんでした。自分は大学内を一通り回った後、ホントに感慨深い気持ちになったのを覚えています。「あぁまさにこの大学で自分の鬱は3倍に悪化し、自殺願望で漆黒に塗り潰された3年間を送る事になったのだ!」、と。そして、「この場所こそが自分の鬱の核心部分の一つなのだ!」、と。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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