鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングの素晴らしかった所

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリング中、饒舌に喋る自分に驚く(2005年9月・29歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は自分が2年ぶりにカウンセリングを受けたという話でした。自分はここからおよそ2年間程H先生のカウンセリングを受ける事になります。振り返ってみますと、自分はこれまでの人生の中でカウンセリングを合計8年間受けています。大学で6年間、街中で2年間の計8年間。このカウンセリングにより自分の人生が変わったと言っても過言ではありません。8年間でお世話になったカウンセラーの先生はお2人いまして、1つ目の大学でS先生に2年間、そして2つ目の大学と街中でH先生に6年間お世話になりました。お2人ともホントに素晴らしいカウンセラーでした。カウンセリングによって自分は自分の気持ちを素直に表現する事を覚え、それがノートを使ったセルフカウンセリングに繋がり、さらにそれが記憶のサルベージ(言語化)へと繋がっていったのです。結果自分は自分自身の鬱の歴史を理解し、自信満々にそれを語れるようになっていました。カウンセリングの何が良かったかと言うと、とにかくあそこは自分が「安心」して喋る事が出来る空間だったという事です。カウンセラーの先生が自分に真摯に向き合ってくれて、自分の言う事に耳を傾けてくれる。8年間のカウンセリングの中で先生が自分の喋る内容や自分の人格、自分の歴史を否定する事はただの一度もなかった記憶です。そう、自分が自殺願望を口にしてもカウンセラーの先生が「死んじゃ駄目よ!」と、それを否定する事は全く無かったですし、自分が両親に対する激しい殺意を口にしてもそれを否定される事も全く無かった。自分の人格の全てをあるがままに受け入れて貰っていた記憶です。あの暖かく、リラックス出来る空間は何者にも変え難いものでした。自分は1997年・21歳の時にカウンセリングを受け始めたのですが、当初の自分はずっと泣きっ放しで喋る事が全く出来ませんでした。S先生はそんな自分が泣き止むまで辛抱強く待ってくれました。そして、ひとしきり泣いた後、自分はホントにたどたどしく自分の事を喋り始めました。自分はそれまでの人生の中で全く自己表現をした経験がありませんでしたから、そのお喋りは幼稚園児並みに拙く、一回言葉に詰まると10分ぐらい言葉が出てこなくなる事はザラだった記憶です。しかし、S先生はそんな自分から言葉を急かす事なく、自分の中から言葉が出てくるまで10分でも20分でも無言で辛抱強く待ってくれました。あれはホントに有り難かったです。もちろん先生が自分の気持ちを先読みして言うような事もありません。とにかく拙くても良いから自分が自分の言葉で素直に喋るという所を最大限重視してくれていたように思います。




そして、もう一つ振り返ってみて有り難かったのは、自分が一つの気持ちを喋り終えると「〇〇君はどうしてそう思うのかな?」と、さらに気持ちの奥の気持ちを引き出そうとしてくれた事。これはお2人のカウンセラーに共通していました。自分はこの問いにより、さらに自分の気持ちや自分の過去を掘り下げ、自分というものを知っていったのです。なるほど、こうやって書いてみると、先生は自分に「自分の気持ちや自分の過去を掘り下げていく姿勢」を教えてくれていたような気がします。この先生達から教わった姿勢が後の記憶のサルベージ(言語化)に繋がっていった事は間違いありません。自分は記憶のサルベージの冒頭において、「何故自分は孤独と恐怖と自殺願望しかない人生を歩む羽目になったのだろうか?」という問いを設定し、その問いを解く為にまさに自分の過去を掘り下げていきましたからね。




さらにもう一つカウンセリングが有難かったと思うのは、あそこで何らかの思想やアドバイスや宗教的価値観を押し付けられる事が全く無かった、という事です。これもお2人のカウンセラーに共通していましたね。ただ正直カウンセリングを受け始めた頃はそこに物足りなさを感じてはいました。自分が学校生活でこんなに苦しんでいるにも関わらず、先生達からは何の助言も無かったからです。ある種突き放されているような感覚もありました。しかし、今から考えるとそれが大正解だったのだと思います。例え先生の助言で問題が解決してもそれは表層的な解決にしかならないと思うんですよ。重要なのは自分の頭で考え、自分でその問題に対する納得できる答えを導き出す事だったのだと思います。例えそれが答えが間違っていても、です。だって自分の頭で考えて納得した答えで無いと、その後の結果に責任が持てません。そして結果に責任が持てないと、人生経験が蓄積していかない。人生経験が蓄積していかないと、自分のように小学校3年生で精神年齢の成長が止まってしまいます。




また、宗教的価値観の話で言うと、自分は常に心が弱り切っていましたから、カウンセラーの先生からなんらかの宗教的なアプローチを受けたら、それに心酔してしまい、その宗教に対して盲目的な人間になってしまった可能性も大いにあり得ると思うのです。実際自分の父親は若い時からオカルトや新興宗教にすがり、それらに盲目的な人生を歩んできていましたからね。しかし、僕は父親のそういう部分が大嫌いですから、カウンセラーの先生が宗教的なアプローチとは全く無縁な方達でホントに良かったなぁと思います。そうそう、例えば自分が通っていた1つ目の大学はキリスト教系の大学だったのですが、S先生から「教会に行けば?」とか「聖書読めば?」とか「信者の方の集まりに行ってみれば?」みたいなアプローチを受ける事は全くありませんでした。




とにかく2人のカウンセラーの先生達に共通していたのは、「とことんまで自分の頭で考えろ」という所です。「他人の言葉を借りずに自分の言葉を見つけろ」、と。そして「自分の行動の責任は全て自分で取れ」、と。あ、実際にはこんな厳しい言い方は全くされていません。ただカウンセリングの8年間を通じて自分は先生達から自然とそういう教えを学び取っていたように思います。う〜ん、最高に有り難かったですねぇ。自分は1つ目の大学でカウンセリングに出会えて本当に良かったと思います。そして、2つ目の大学及び街中のカウンセリングもホントに素晴らしかった。学校生活が何一つ上手く行かなかった自分にとっては、カウンセリングこそが学びの場だったのだと思います。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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