鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

引っ越しの話でパチンコ生活へのモチベーションが半減(2006年1月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「モチベーションが下がった状態でのパチンコ生活(2006年1月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、引っ越しの話が出て来た事で、パチンコへのモチベーションが下がってしまった、という話でした。引っ越しの事を考えると、頭の中が怒りと不安でいっぱいになってしまい、半ばパニック状態になってしまうのです。パチンコを打っている最中の自分はますます上の空になっていきました。しかし、そんな状況でもカウンセリング代と生活費は稼がねばなりませんから、自分は相変わらずパチンコを打ち続けていました。振り返ってみますと、自分が記憶のサルベージ(言語化)を終え、パチンコ生活を始めたのは、この3ヶ月前の事になります。パチンコ生活を始めるにあたって、自分は新生活に対して以下の5つの喜びを感じていました。



①記憶のサルベージからの解放。

②パチンコでまた稼げる。

③カウンセリングをまた受けれる。

④パチンコで稼いだお金をカウンセリングに使える。

⑤生まれて初めて100%自分の意志で外の世界を行動できる。



それから3ヶ月間、自分は上記の5つの喜びに満たされ、希望に満ちた日々を送っていたのです。こんなに充実感のある日々は、29年間の人生の中で初めての経験でした。あれは「眩しい光」に満ち溢れた日々でしたね。自分は大体朝9時からパチンコを打ち始め、夜8〜9時になると撤収しまして、その後はご飯屋さんで夜ご飯を食べました。そのご飯は毎回美味しかったです。この「ご飯を美味しい」と思う経験も生まれて初めてのものでした。そしてその後時には繁華街のゲーセンでゲームをしたして、気晴らしをしたりもしました。その時に感じる幸せな気持ちと言ったらなかったのです。「あぁ今日も1日仕事をしたぞ〜〜っ!!」、と。そういえば、当時自分はゲームセンターでオンライン対戦のクイズゲームにハマっていまして、それをパチンコ後によくプレイしていましたね。(クイズマジックアカデミー3ってゲームです。)仕事後のクイズゲームはたまらなく面白かった記憶があります。そんな時自分は、「記憶のサルベージからの開放感」と「自分の意志で街を歩いている喜び」を特に強く感じていました。もう部屋に引きこもって自分のトラウマをひたすらノートに書かなくても良いですし、「カウンセリング」と「パチンコ」という自分が大好きなモノの為に街を歩けているのです。自分は自分に羽根が生えたのでは無いかと思う程、伸び伸びと夜の繁華街を飛び回っていました。




しかし、そんな幸せな期間は3ヶ月しか続かず、自分は再び鬱の濁流に飲み込まれていく事になります。引っ越しの話を聞いて以降の自分はまたも憎しみと不安の渦に巻き込まれていきました。それにより先程上げた5つの喜びはかなりくすんでしまった感があります。5つの喜びを足した喜びの総量は、「半分」にまで減ってしまった印象です。そう、29歳にして初めて見つけた「眩しい光」は、3ヶ月も経たないうちに、半分の明るさになってしまったのでした。そして、その明るさはさらに減っていく事になります。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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