鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

親に向かって「ガキがガキ作ってるんじゃねえよ!!!」と吠える〜「東○荘事件④」(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「もはや憎しみのコントロールが効かない〜「東○荘事件」①(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。





すみません。こちらの記事を読まれる前に


憎しみのあまり、自分にメリットがあるコミュニケーションすら取れない〜「東○荘事件②」(2006年3月頃・30歳)

暴力衝動を抑えきれなくなる〜「東○荘事件③」(2006年3月頃・30歳)


をお読み頂ければと思います。順番を間違ってアップしてしまいました。



前回の記事は、自分が憎しみの感情を抑えられなくなっていたという話でした。自分は事あるごとにわざと家のドアを力一杯閉めてドアの音を響かせていました。それにより、「自分はこんなにも引っ越しに対してムカついているのだ!!!」、と表現しているつもりだったのです。また、自分の部屋の床をガンガン踏んで、階下の家族を威嚇したりもしていましたし、妹の部屋の壁をガンガン蹴ったり殴ったりもしていました。今から思うと、あれは自分なりの「正当防衛」だったと思うのです。何故なら親が言い出した引っ越しにより、この先自分が致命的な精神的ダメージを受ける事が確定的な状況だったからです。というかそもそも、この引っ越しの話が出る以前から、自分はこの家族に精神的、肉体的、社会的に1度殺されたも同然でしたからね。自分はコミュニケーション能力が全く育たないまま、学校生活に放り込まれ、孤独感の蓄積で鬱を発症し、心身が壊れに壊れ、28歳で社会から完全にドロップアウトしたのです。そう、精神的、肉体的、社会的に1度殺されたも同然でした。それにも関わらず、家族は引っ越しによりさらに致命的な精神的ダメージを与えようとして来たのです。自分からしたらこの「音」による威嚇は正当防衛以外の何物でもありませんでした。「お前らに2度も殺されてたまるかよ!!!!」、という心の叫びがドアの音で表現されていたのです。




さて、そのように音による正当防衛が続いていたある日の事です。これまで書いてきました通り、「東○荘事件」が起こりました。とうとうこの事件の詳細を書く時がやってきました。この事件の「前フリ」部分は全て書いてしまいましたので、本題に入りたいと思います。あの事件の日の正確な日付は覚えていませんが、たぶん2006年の3月です。その日の自分はパチンコはお休みで、カウンセリングに行く為の準備をしていました。当時カウンセリングの予約を取っていたのは毎週土曜日の15時だったように記憶しています。自分はその2時間前の13時頃に外出の準備を終え、自分の部屋を出ようとしたんですね。その時に自分は隣の妹の部屋で自分の怒りを増幅させる何かを感じ、思い切り自分と妹の部屋の間の壁を蹴ったのです。その何かが何だったのか、具体的に覚えてはいないのですが、推測するに妹がまた「ドアの音」を大きく響かせたのではないかと思います。そう、自分とドアの音との因縁は根深く、2年前に発症した自分の尿管結石発症のきっかけはこの妹のドア音でした。また、引きこもっている間も自分はこの妹の出すドアの音に膨大な不安感と憎しみを感じていました。そして、そのドアの音への過敏さは対象を周りの生活音全般にまで広げていき、しまいには上空を通る飛行機の音や灯油売りのスピーカー音にまで憎しみを感じるようになっていたのです。それ程までに自分と妹の出すドア音との因縁は深かったですから、たぶんこの時のきっかけもそれなのではないかと思います。また、妹は自分と違って親ともコンタクトをとっていましたから、そこに対する憎しみも膨大なものがありました。話は戻ります。そのドア音らしき何かによって、またも自分の中に先程書きました「正当防衛の衝動」が湧き上がった事をはっきり覚えています。「正当防衛の衝動」を言い換えると「ドス黒い暴力の衝動」です。それが湧き上がってくるともう自分はコントロールが効きません。自分は暴力の衝動に任せて、部屋の壁を思い切り蹴りました。これまでも自分は何度もこの壁を蹴っていたような気がしますが、この時は過去一強く蹴った記憶です。さらに1、2回追加で蹴ったかもしれません。そうすると自分の中の黒い衝動は収まりました。




そこで自分はカウンセリングに行く為に、部屋を出て、玄関で靴を履こうとしていたんですね。すると突然リビングのドアが開いて、父親が血相変えて自分に掴みかかってきたのです。父親は「お前はなんでいつもそうなんだ!!!」、と激昂しています。父親は自分に掴みかかってきた上に、顔を自分の鼻先まで近付け、大声で何かを喚いています。自分は訳が分かりません。しかし、とりあえず父親が何か自分に対して怒っている事は分かりました。たぶんこれまでの自分の行動に対してキレているのでしょう。引っ越しの紙を破ったりだとか、ドア音をわざと大きく響かせたりとか、壁や床を蹴ったりだとか。自分は掴みかかってきた父親の腕を抑え、「おぉ、おぉ、なんなんだよ!!!」と叫び、戦闘モードに切り替わりました。こちらだって、この家族には「殺してやりたいくらい」ブチ切れまくっているのです。「やるならやってやるよ!!!」的な感情が一気に湧き上がってきたのです。すると、騒ぎを聞きつけ、母親と妹も出てきました。母親は敵意剥き出しな目で、自分を見ています。そして、妹も父親の味方らしく、自分が父親の事を掴み返そうとすると、自分の腕や身体を抑えてきて、自分の身体の動きを制限しようとしてきます。自分は妹に身体の動きを制限され、父親から太腿を蹴られていました。自分はこの場が1vs3であり、完全孤立状態である事を理解しました。いわゆる袋叩き状態です。それを理解すると自分の中に妙なアドレナリンが出てきまして、ますます戦闘モードのギアが上がったのを覚えています。




自分と父親の取っ組み合いは続きます。取っ組み合いながら、父親はこれまでの自分の行動を非難する様な事を言っていた記憶です。自分はそれに対して反論しました。具体的に最初にどんな反論をしたのかは覚えていないのですが、たぶん「お前らのせいで俺の人生滅茶苦茶だ!!!」的な事を吠えたに違いありません。だって自分が家族に言いたい事はそれしか無いんですから。「お前ら俺の人生滅茶苦茶にしやがって、絶対に許さないからな!!!」的な事も吠えたかもしれません。




それでね〜、この後自分が吠えた反論の中で唯一はっきりと覚えている自分のセリフがあります。それは「ガキがガキ作ってるんじゃねぇよ!!!」、です。これは確実に吠えました。さらに「適当にセックスしやがって、それで産まれてきて滅茶苦茶な人生送らされるこっちの身にもなりやがれ!!!」的な事も言った記憶です。そう、これはまさにこの家庭が小学校3年生以降機能不全を起こしていた事を指摘したセリフです。この時期以降うちの父親も母親も激しい夫婦喧嘩に明け暮れ、精神的な親の役割を全くもって放棄していましたからね。自分は記憶のサルベージ(言語化)において、自分自身の精神年齢の成長が小学校3年生で止まった事を認識しましたし、さらにコミュニケーション能力の成長もそこで止まっていた事も認識しました。そして、同時にうちの両親にも同様な印象を受けたのです。つまり、「うちの両親の精神年齢の成長もどこかで止まっていたのでは?」、という事です。だってうちの父親と来たら自分が幼い頃から父親らしい包容力や優しさは皆無で、酒飲んで暴れているか、酒飲んで無い時はいるかいないかわからない透明人間のような男でしたし、うちの母親も小学校3年生以降は常に暗い顔をして「離婚したい、離婚したい」と泣いているだけの女性だったのです。我が家は自分が小学校3年生時から、両親の間の激しい喧嘩が10年以上続き、ずっと戦争状態でした。ですからうちの妹は小学校低学年時から、母親を慰める役割を担っていましたからね。どちらが子供なんだか、分かりはしません。そう、自分はこの2人の親らしい所を見た事がありませんでした。(経済的な面や家事的な面では役割を果たしていたとは思いますが)ですから「ガキがガキ作ってるんじゃねえよ!!!」、という言葉が出て来たのです。またその後の「セックス」の件りは、うちの母親が下ネタ嫌いのを知っていましたから、そこへの嫌がらせも含めた件りだった記憶です。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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