鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

ホテルに辿り着いた時のカオス過ぎる感情〜「東○荘事件12」(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 家に帰る気が全くしないので、ホテルに向かう〜「東○荘事件11」(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が古本屋の仕事仲間達に父親との喧嘩の話を聞いて貰ったという話でした。その後自分は電車で繁華街に向かい、とあるビジネスホテルに泊まる事にしました。着いた頃には、夜10時を回っていたように思います。そのビジネスホテルの名前は「東○荘」で、外観はマンションのような建物で5階建くらいだったと記憶しています。繁華街の中にあるビジネスホテルで、周りは怪しげなお店が並んでいましたね。なんせ自分はこういうホテルを使うのは始めてですから、フロントでホテルの受付の人と喋るのも緊張しました。とは言ってもこのホテルのフロントは小さい小窓のみで、受付の人の顔は見えなかった記憶です。自分の中には「こんな夜遅くに泊まらせて貰えるのか?」という不安もありました。自分が自信なさげに「今日泊まりたいのですが、、」と小窓に話し掛けますと、受付の人は「大丈夫ですよ」とすんなり部屋の鍵を渡してくれ、料金とチェックアウトの時間を教えてくれました。料金はよく覚えていないのですが、1泊7500円くらいでしたかね。自分はチェックインが上手く行った事にホッとしました。指定された部屋は確か3階の一室で、中に入ると、こじんまりとした清潔そうな洋室の部屋で、そこでもホッとしたのを覚えています。そう、何せ自分はビジネスホテル入るのは初めてでしたし、このホテルは繁華街の中でも怪しげな場所にあるホテルでしたから、部屋の中の様子なんかも不安だったのです。しかし、ベッドや家具は綺麗でしたし、周りの音も静かで、これなら音に対して病的に過敏な自分でも寝れそうでした。自分は荷物を下ろし、部屋に備え付けのソファに座ります。深く大きなため息が「はぁ〜〜〜っ。」と出て来ました。




今日はなんという激動の1日だったのでしょう。自分がカウンセリングに行こうとしたら、血相変えて出てきた父親と取っ組み合いの喧嘩になり、さらにそこに母親と妹も加わり、自分は袋叩きにされました。その後家に警官が駆けつけ、とりあえず騒動は収まり、自分はカウンセリングに向かい、そこでこの喧嘩の一件を喋りました。続いて地元に戻り、古本屋の仕事仲間にも喧嘩の話を聞いて貰い、最後にこのビジネスホテルに辿り着いたのです。自分は今日起こった事が色々あり過ぎて、頭の中がいっぱいいっぱいになっていました。情報量が余りにも多い1日でしたからね。そして、自分の感情もぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに乱れまくっていました。凄まじい感情の嵐が吹き荒れた1日でもあったのです。




そう、この「東○荘」の部屋のソファに座った時のカオス過ぎる感情は今でもよく覚えています。まず自分の中には今日の喧嘩によって湧き上がった興奮がまだけっこう残っていました。「あぁ俺よく1vs3の孤立無援状態で戦ったなぁ」という感慨です。喧嘩の流れをまとめてみますと以下の通りになります。



・カウンセリングに行こうとすると、父親が血相変えて飛び出して来て、取っ組み合いの喧嘩が始まった


・そこに母親や妹も加わり1vs3の袋叩き状態になった


・自分が親に向かって「お前らのせいで俺の人生滅茶苦茶だ!!!」、と吠えた。さらに「お前ら俺の人生滅茶苦茶にしやがって、絶対に許さないからな!!!」的な事も叫んだ。



・母親への嫌がらせ的な意味合いで、近所の響き渡るような声で「助けて!殺される!!」、と叫んだ


・両親に向かって「ガキがガキ作ってるんじゃねぇよ!!!」というキラーフレーズを吠えた。さらに「適当にセックスしやがって、それで産まれてきて滅茶苦茶な人生送らされるこっちの身にもなりやがれ!!!」、的な事も言えた


・母親に対して「なんだ!お前も俺の事が憎いのか!!だったら俺の顔を殴ってみろよ!!!」と挑発したら、頬を殴られた


・母親が警官を呼び、家に警官が来た事でとりあえず喧嘩は収まり、自分はカウンセリングに向かった



自分はこれまでの人生において、喧嘩どころか口論さえした事の無い人間でしたから、今日のこの一件は人生で初めての経験で、そこでの興奮もあったと思います。そして、初めての喧嘩にしては、自分の言いたい事を言え、上手く立ち回れたのではないかと、自画自賛したい気持ちもありました。まずは「俺一人でよく頑張ったなぁ」という感慨がありましたね。その次の感情が、「憎しみ」です。今回の一件で、自分の家族に対する憎しみが、『「殺したい」程憎い』から『「殺しても殺し足りない」程憎い』にランクアップしていました。この時の憎しみを整理しますと以下の3つになります。



①家族によって自分の人生(記憶のサルベージ以前の28年間)を滅茶苦茶に破壊された事


②1年半に渡る記憶のサルベージ(言語化)を経て、ようやく人生をやり直そうとしている矢先に、家族から引っ越しの話が持ち上がり、またも自分の人生が妨害されている。


③今回の父親との取っ組み合いの喧嘩とその後の家族3人による袋叩き




ただでさえ、自分はこの喧嘩の前から、親が自分の意向を無視して引っ越しを進めている事に、はらわたが煮えくり返って、暴力衝動を抑えきれなくなっていました。そこに来ての、喧嘩と袋叩きですからね。自分の中の暴力衝動がさらにさらに膨れ上がったのを覚えています。自分が後先考えない人間なら、とっくにその膨大な殺意を実行していた事でしょう。あれから15年経った現在でもこうやって当時の気持ちを書いていると、どうしようもないドス黒い衝動が心の奥底から溢れてきますからね。




あ、でもあれから15年経った今現在の自分は両親と仲良くやっていますので、ご安心下さい。毎週3人で集まっては、2〜3時間和やかによもやま話をしていますからね。近況やら世間話やら昔話やら色々喋ってます。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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