鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

酷い冷え性のせいで布団や服を20枚以上重ねないと眠れない〜「東○荘事件16」(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「4時間かけて今日の事件をノートに書く〜「東○荘事件15」(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がビジネスホテルにチェックインし、自分の気持ちをノートに書きまくったという話でした。チェックインしたのが夜10時くらいでノートを書き終わったのが深夜2時半くらいでしたね。自分は途中で書いても書いても書き終わらない自分の感情にうんざりしていていました。だってもうこの日は色々と出来事があり過ぎましたから、自分の心身は疲労困憊中の疲労困憊状態だったのです。その状態でノートを書き続けるのはかなり辛いものがありました。しかし、書き終わらないと自分の頭の中はとても不安定なままで眠れそうになりません。改めてこの日起きた出来事を時系列順に書いていきたいと思います。



カウンセリングに行こうとすると父親が血相変えて掴みかかってきて、取っ組み合いの喧嘩発生

そこに母親と妹も加わり、家族3人により袋叩きに遭う

警官が家に来訪。喧嘩は収束し、自分はカウンセリングへ

カウンセリングで先程の喧嘩の一件を話す

地元に戻り、元仕事仲間に喧嘩の一件を話す。

家には絶対戻りたくないので、ビジネスホテルに泊まる


4時間かけて今日の出来事と感情をノートに書く




この一連の事件により、自分の感情はぐちゃぐちゃに乱れまくりました。まず最初に、自分の頭の中は父親との喧嘩によって極度の興奮状態に陥りました。さらに自分は家族3人から袋叩きにされましたから、それにより家族に対する憎しみが、『「殺したい」程憎い』から『「殺しても殺し足りない」程憎い』に変化しました。これに伴い自分の人生に対する激烈な「理不尽感」と「絶望感」も発生しました。加えて今後の自分の生活に対する膨大な不安感も発生したのです。まぁホント様々な感情の嵐が吹きまくった1日でした。そして、これらの感情を全てノートに書き出すのに4時間くらいかかってしまったという事になります。改めてこうやって当時の事を書いてみますと、あの疲労困憊中の疲労困憊状態で、4時間もノートを書き続けた当時の自分を褒めてあげたいものです。




さて、ノートを書き終わると時刻は深夜2時半を回っていました。自分はシャワーを浴びて、とりあえずベッドに入りました。しかし、入ってはみたものの頭の中は今日の出来事で溢れ返っています。ノートを4時間書いてもなお自分の頭の中は、上記の感情で溢れて返っていたのです。中でも喧嘩による興奮の余韻は未だに残っていましたし、明日からの生活に対する膨大な不安感もまだまだ自分の心の中にありました。それらの感情が頭の中をグルグルグルグル回っていまして、一向に眠くなる気配がありません。そうやってベッドの上で悶々としていると、自分はどんどん肌寒くなってきたんですね。



そう、この事件が起きたのは3月のとある日でしたが、まだ気温的に肌寒い日も多く、そしてこのホテルは空調が余り効いてなかったのか、布団の中に入っても寒いのです。このホテルは横浜のとある繁華街にありましたから、横浜の3月の寒さというと12〜13度くらいでしたかね。ホテル側が用意していた掛け布団は2枚くらいでしたが、それでは全然足りない感じです。この寒さは気温や空調のせいもあったでしょうが、一番の原因は自分の「冷え性」でした。ちょっとここからは、事件の話は一旦横に置いておきまして、当時の冷え性について書いていきたいと思います。




自分は高校1年時に鬱を発症し、それは悪化していく一方だったのですが、その悪化と同時進行で冷え性もどんどん酷くなっていったんですね。ですから、この頃の自分は極度の冷え性になっていました。当時の冷え性エピソードなんですが、あれはまだ古本屋バイトをしていた頃です。(26歳〜28歳)夏になると電車内ってエアコンで涼しくなりますよね。自分はこの涼しさが辛くて仕方なかったのです。ですから真夏に電車に乗る時はTシャツの上に1枚スウェットを着ないと寒くて乗れませんでした。また、古本屋で店番している時の話ですが、夏の季節は店内をお客さんの為にエアコンで涼しくしてないといけません。しかし、自分はそれも辛くて、真夏でもエアコン無しか、付けても設定温度30度で店番をしていたんですよ。当然店内の空気はエアコンのさらっとした空気ではなく、じとっと重くて暑い空気でして、あれは店番自らが営業妨害をしていたようなものでした。また、引きこもり中も冷え性がさらに酷くなっていましたから、夏に寝る時もエアコン無しです。さらに窓を閉め切って寝ていました。当時は睡眠時間も滅茶苦茶乱れまくっていましたから、1番暑い昼間の時間帯に寝付く事もよくあったのですが、その時もエアコン無しの窓閉め状態で寝ていました。当然部屋の中の温度は40度くらいにまで上がりサウナ状態でしたが、自分はその暑さを我慢して汗ダラダラ状態で眠っていました。そう、試しに真夏の昼間に窓を開けて寝た事もあったのですが、窓からのそよ風だけでも身体が冷えてしまい、寝冷えする事があったんですよ。それ以来、真夏の昼間に寝る場合でもエアコン無しの窓閉めになってしまいました。その後のパチンコ稼業においても、冬はデニムの下に股引き3枚を履いてさらにカイロを貼らないと我慢できませんでした。さらに時代を遡りますと、大学の空手部時代なんかも冷え性が酷かったのですが、興味のある方はこちらの記事をお読み下さい。(大学時代の鬱の諸症状②〜離人感と冷え性〜)




ここからが本題なのですが、この酷い冷え性で冬寝る時はさぁ大変です。寝る時は掛け布団や毛布や服を20枚くらい重ねなければ寒くて眠りにつくことが出来ません。加えて面倒だったのがその時々で身体が要求する布団の重さがまちまちなんですよ。自分が冬に寝る場合は、まず掛け布団や毛布を7〜8枚重ねます。しかし、その重さだけでは身体が全然満足しませんから、さらに枕元に置いてある「服」を上半身と下半身それぞれに掛けていきます。服は着なくなった冬物のダウンジャケットやコートなどです。それを大体上半身に6〜7枚、下半身に6〜7枚くらい載せていました。この枚数はその日によって変わってくるので、毎回自分は布団に入ってから1枚1枚重ねていました。ですから寝るたびにこの調整に20分以上かかりまして、すんごく面倒臭いのです。毎回調整が終わると布団の上には山のように服が重なっていました。こうなると布団と服とでかなりの重さになり、身体はギチギチでみじろぎひとつ出来ません。しかし、自分の身体はここまで重くしないと満足しなくなっていました。しかも、折角調整して寝付いたのに、結局は重さが少し足りず、起きてみると寝冷えしてしまっていて、超ダルくて仕方ない、という事態が引きこもり中何度も起きていましたからね。また、起きてみると、折角重ねた布団がめくれてしまっていて、身体が寝冷えしまくっている、という事態も何度も起こりました。




ですから、自分がホテルに泊まる事がすごく不安だった理由の一つに、この「布団の重さの調整」問題もありました。まず、ホテルで何枚も掛け布団が借りれるか分からないですし、さらに重さを微調整できるようなモノがある訳ないですからね。そんな感じで、自分は極度の冷え性でしたし、寝る時の布団の重さに対しても病的に敏感になっていたのです。ですから、この時もホテルが用意した2枚の掛け布団だけでは到底足りず、どんどん肌寒くなってきたのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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