鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

貴重品を取り返す為に、30分だけ家に戻る〜「東○荘事件23」(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「「このまま一回も家には戻らず、ホテルに泊まり続ける」という選択肢〜「東○荘事件22」(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、「このまま一回も家には帰らず、ホテルに泊まり続ける」という選択肢についての話でした。自分はノートにその選択肢を選んだ場合の不安感を色々書いてみたのですが、不安感の総量は莫大なものになってしまったのです。特に、このまま一回も家に戻らないとなると自分の部屋に置いてある貴重品は無くなったも同然な訳で、そうなるとこの先自分の身にどのようなトラブルが起きるのか分かりません。それは精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていた自分には恐ろしくて仕方ない事でした。そのような感じで、色々ノートを書いていきますと、「このまま一回も家には戻らず、ホテルに泊まり続ける」という選択肢は、かなり厳しいという印象になっていったのです。




では、他にはどのような選択肢があるのかという話ですが、「何も無かったかのように家に帰る」という選択肢があるにはありました。しかし、以前の記事にも書きましたが、当然この選択肢も絶対に嫌な選択肢です。何度も書いていますが、自分の家族に対する憎しみは「東○荘事件」により、このように変化しました。



「殺したい」程憎い

「殺しても殺し足りない」程憎い



この精神状態で家に戻ったら、さらなる暴力沙汰が巻き起こる事は目に見えていますし、暴力沙汰が行き着く果ては破滅です。かといって、その莫大な暴力衝動を理性で抑え込むと、今度はその暴力衝動が自分の中で暴れ、自分の心身がさらにぶっ壊れまくる事も目に見えています。そう、自分は改めて今の状況のノートに書いてみたのですが、それは前夜に書いたどん詰まりの状況と何も変わっていませんでした。自分はこんな感じで大きく深くため息を吐くしかありませんでした。「やっぱりどちらの選択肢も詰んでやがる、、」、と。




あ、ちなみにホテル以外に泊まるという選択肢は自分の中に全くありませんでした。例えば「友達の家」とか。しかし、学生時代に友達一人作れなかった自分に、そんな友達がいる訳ありません。




さて、そうは言ってもなんらかの結論は出さねばなりません。そこで自分は最初の選択肢「このまま一回も家には帰らず、ホテルに泊まり続ける」をもう一度検討し始めました。自分はこう思い付きました。『選択肢の前半を「貴重品を取るために一回家に戻り、」に変えてみたらどうだろう?』と。つまり「貴重品を取るために一回家に戻り、貴重品を取り戻した上で、ホテルに泊まり続ける」です。これならば、貴重品が手元に返える訳で、貴重品が無い事での不安感は解消されます。ただし、一回家には戻らねばなりません。貴重品を取りに戻るだけですから、30分くらいの滞在になるでしょうが、自分はそれさえも強烈なストレスを感じました。なんせ家には「殺しても殺し足りない」程憎い家族がいる訳ですからね。しかも「東○荘事件」により家族もこちらに敵意や憎しみを抱いている事が判明しましたから、そんな敵の巣窟に戻る事には、恐怖感もかなり感じた記憶です。そう、あの事件で自分は家族三人から袋叩きにされたのです。本来なら絶対戻りたくはありません。しかし、ここまで考えてくると、貴重品を取り戻す為に1度は家に戻らない訳には行かないような流れになってきました。自分は大きく深くため息をつきました。「仕方ない、30分だけ戻ってみるか、、」、と。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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