鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

家族の誰とコンタクトを取るのか考える(2006年4月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「引っ越しの決断に至るまでの時系列まとめ(2006年4月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が引っ越しの決断をするまでの時系列をまとめてみました。時系列は以下の通りになります。



2005年9月 1年間の引きこもり生活(記憶のサルベージ)を終え、パチンコ&カウンセリング生活開始。


2005年11月 父親が引っ越しに関する紙を持ってくるが、自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを抱いていたので、ほとんど読まずにビリビリに破いて捨てる。


2005年12月 意を決して母親に引っ越しに対して反対だと伝えるも、引っ越しの流れが止まる気配は無し。自分は憎しみをコントロールしきれなくなり、それをドアや壁に激しくぶつけ始める。


2006年3月 東○荘事件発生。事件により果てしない憎しみと不安感と理不尽感が爆発し、パチンコで稼ぐ気力がなくなる。「自殺願望」が「自殺企図」に変化。


2006年4月頃 引っ越しに対する結論が決まる。結論は「引っ越しについていく方向でとりあえず動いてみて、ストレスで自我が保てなくなった時点で自殺しよう」。


2006年6月 引っ越し。



いや〜よくまとまりました。特に東○荘事件の経緯と引っ越しの決断に至るまでの経緯をまとめられたのは大きいです。素晴らしい。さて、話を先に進めたいと思います。自分は2006年の4月頃に引っ越しに対する結論を決めました。その結論とは先程も書きました通り、「引っ越しについていく方向でとりあえず動いてみて、ストレスで自我が保てなくなった時点で自殺しよう」、です。そう、自殺を担保にして引っ越しについていく事にしたのです。そこで自分は次に何をするべきなのか、こう考えました。「引っ越しについていくからには家族の誰かとはコンタクトを取る必要があるだろう」、と。振り返ってみますと、自分は東○荘事件以前から家族に対して「殺したい」程の憎しみを抱いていました。こうなりますと彼らとコミュニケーションなど到底無理な状態で、すれ違うだけでも反吐が出る状態だったのです。そして、この憎しみは東○荘事件によって倍増し、「殺しても殺し足りない」程の憎しみに変化していました。こうなるとさらにコミュニケーションは無理な状態です。しかし、自分はここに来て家族の誰かとはコミュニケーションを取る必要に迫られていました。仮に自分が「一人暮らし」という選択肢を選んでいたなら、家族の誰とも連絡を取る事なく、勝手に一人暮らしを始める事は不可能ではありません。しかし、今回自分の取った選択肢は「家族の引っ越しについていく」です。自分は家族がどこに引っ越そうとしているのか、その場所さえ知らない状態でしたから、家族とのコンタクトが必須の状況になっていました。




そこで自分は家族の誰とコンタクトを取るのがまだマシなのか、考え始めました。自分は家族3人それぞれに等しく「殺しても殺し足りない」程の憎しみを抱いていましたから、ホントなら誰とだってコミュニケーションなど取りたくありません。だって「殺しても殺し足りない」程憎いのです。しかし、自分は引っ越しに対してこう結論を出していました。「引っ越しについていく方向でとりあえず動いてみて、ストレスで自我が保てなくなった時点で自殺しよう」、と。そう、自分が今後家族の誰かとコンタクトを取るという事は、そこで「殺しても殺し足りない」程の憎しみが発生するのは必然です。しかしコンタクトを取るからにはそれを押し殺さなければならない訳で、その激しい殺意の抑制は自分の中に凄まじいストレスの嵐を巻き起こす事でしょう。しかし、結論が出た以上、自分は凄まじいストレスの嵐に耐える事にしたのです。凄まじいストレスの嵐により自我が保てなくなりそうなら、「自殺」という安全装置を迷いなく作動させるつもりでした。




さて、そこで自分は具体的に家族の誰とコンタクトを取るのか考え始めました。まず父親とコンタクトを取る事はあり得ません。父親とは尿管結石の発症の際の暴言事件がありましたし、なにより東○荘事件で取っ組み合いの喧嘩をしたばかりでしたからね。そして、母親とのコンタクトもあり得ませんでした。そもそも自分がこの家族で初めて憎しみを覚えたのはこの母親であり、その憎しみは10年以上に渡って激しくなる一方だったからです。また、これは父親と母親両方に言える事ですが、今回の引っ越しは両親が言い出した事なのです。うちの両親はそれまで10年以上に渡って引っ越しに固執し続けていました。過去には自分も混えて一緒に引っ越し先を見に行く事もありましたからね。そして今回の引っ越し強行をきっかけにして東○荘事件が起こり、自分は地獄の底の底に突き落とされました。あの事件で自分が被った甚大な精神的ダメージを考えてみますと、両親とコンタクトを取るくらいならすぐにでも自殺する方が100倍ましでした。そうなると残された選択肢は妹です。そう、自分は妹に対してもドアの音や尿管結石の件で激しい憎しみを感じていましたし、激しい嫉妬心も感じていました。また妹は自分と違って両親との仲が良好でした。自分はそこに関しても激しい憎しみを抱いていたのです。自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在です。自分はそんな両親とコミュニケーションを取り続けている妹が信じられませんでした。「はぁ??お前はあいつらの事が憎くないのかよ!!!」、と。なんというか「敵の味方は敵」という感じです。このように自分は妹に対しても様々な憎しみを抱えており、それは東○荘事件により「殺しても殺し足りない」程の憎しみになっていました。当然妹とのコミュニケーションもあり得ません。しかし、妹は両親と違い、今回の引っ越し強行に関してその意思決定に関わっていない空気がありました。自分は色々考えていった結果、そこに関してだけは妹に対して心を許せる部分がありそうな気がしたのです。自分は「妹とのコンタクトが一番まだマシか、、」と考え始めたのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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