鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

前回の記事を書いた後、胃の辺りがかなり重苦しくなった話(2006年4月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「家族の誰とコンタクトを取るのか考える(2006年4月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が引っ越しの為に妹とコンタクトを取る決断をした、という話でした。いや〜正直な所、前回の記事を書いている最中、心の中がかなり苦しく重くなる感じがありました。書いてる最中だけでなく、書き終わった後もしばらくはその苦しさは残っていましたね。その後布団に入ると当時のダークな気分がまざまざと蘇ってきました。現在あの引っ越しからもう15年以上経っていますが、自分の心の中には当時の苦渋過ぎる決断の苦しさがそのまんま残っており、書く事でそれが蘇ってきた感じです。あれは自殺を担保にしたギリギリの決断でしたからね。変な話になりますが、その決断の苦しさの記憶って、もちろん脳に残っているものなのですが、体感では主に自分の胃の辺りに残っている感じなんですよ。なんかこう当時の決断を思い出すと胃のあたりがとても重く、苦しくなったのです。それはなんかこうどこにも行き場の無い無限の重さであり、苦しさです。「胃の辺り」と書きましたが、厳密に言うと「おへそ」のあたりがとても重く苦しい感じ。そういえば、当時の自分は東○荘事件以降、布団の中に入り眠ろうとすると、息の吸い方を忘れてしまうような事がちょくちょくあったんですよ。もうなんかおへその辺りがあまりにも重くて苦しいものだから、息を吸っても吸っても苦しく感じてしまい、「あれ?息ってどうやって吸うんだけっけ??」、と半パニック状態になる感じ。それくらい、当時のこのおへその辺りの重苦しさは酷かったのです。あの苦しさは喘息の苦しさとは違う苦しさでしたね。




そんな感じで当時の記憶を言語化していくと、おへそあたりの重苦しさも蘇ってしまう感じがありました。まぁやはりここら辺の話は自分の人生の中でもトラウマ中のトラウマな話ですから、これを言語化追体験するという事は、身体にも反応が出るという事なのでしょう。まぁでも今後この重さや苦しさは書いていくうちに解消され、軽さや明るさに変わっていくのではないかと期待しています。




さて、話は引っ越しの話に戻ります。自分は自殺を担保にして、家族の誰かとコンタクトを取る事を決め、妹と接触してみる事に決めました。そう、妹と接触するという事は自分の中に「殺しても殺し足りない」程の憎しみが発生する事は必然ですが、コンタクトを取るからにはその憎しみの嵐を理性で抑え込まなければなりません。その激しい殺意の抑制は自分の中に凄まじいストレスの嵐を巻き起こす事でしょう。そして、この凄まじいストレスの嵐により、自分の自我が崩壊する可能性がありました。実際、尿管結石の際、あまりの痛みに自我が一瞬崩壊しましたからね。そこで自分はそれに備えて自殺の用意を始めました。そう、ストレスで自我が崩壊するギリギリまで引っ越しの準備をやってみて、崩壊しそうなら自殺する、というのが自分が導いた結論だったのです。仮に完全に自我が崩壊してしまったら自分は正気を失い「空キレイ状態」に陥りますので、自殺どころではなくなります。自分はその崩壊ギリギリを見極めて自殺するつもりでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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