鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

トラウマの言語化はやはりしんどい(2021年4月・44歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「孤独という拷問を受ける為だけに産まれてきたような人生(2006年4月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が妹と引っ越し先の一軒家を見に行ったという話でした。ちょっとここでまた現在の自分(2021年4月)の話をさせて貰います。前々回の記事で、自分がこのブログを書いた後重苦しい時間を送っているという話をさせて貰いました。そして、その重苦しさはおへその辺りから発生していて、それはゲップをする事で軽くなっていったという話もさせて頂きました。その後の話になります。その軽くなった気持ちなんですが、ここに来てまた重苦しくなってしまっています。いや〜しんどいですねぇ。現在の自分の気持ちが全面的にその重苦しさに支配されているという訳ではなく、部分的な重苦しさではあるのですが、嫌なものです。やはり2006年当時の自殺と紙一重の生活を思い出すという事は、現在の自分にも影響があるという事なんでしょう。というかこうやって2006年当時の事を初めて言語化してみて思ったのですが、あれから15年経った現在でも記憶の中に当時の苦しさが真空保存状態でそのまんま残っているんですね。2006年当時の強烈な「自殺企図」の重苦しさが2021年の現在でもそのまんま記憶に残っているのです。これまで自分はこのブログの中でこういう考えを書いているのですが、



「人間の人生における激烈な感情や感覚は、その人の脳の神経に焼き付いてしまう。そして一度神経に焼き付いた感情はそうそう簡単には取れない。」



まさに2006年の強烈なトラウマ体験が自分の脳の神経にいまだにそのまま焼き付いて残っているな、という感じです。こんだけ鮮やかに強烈なトラウマ体験が残っているのですから、そりゃ現在の自分がいまだに体調が不安定だったり、稼ぐ気力がいまいち湧かなかったりするのも頷けます。なるほどなぁ。



そして、この2006年の「自殺企図」の重苦しさは2006年だけで終わる話ではなく、少なくとも2011年あたりまでは続きます。あ〜しんどwそして、2011年あたりから徐々に鬱が回復といくという流れです。という訳で、まだまだ書くのがしんどい記事が続きますが、頑張って書いていきたいと思います。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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