鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

東○荘事件以降の流れまとめ(2006年4月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「引っ越し先の一軒家で妹と喋る(2006年4月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が妹と引っ越し先の一軒家を見に行き、そこで1時間くらい喋ったという話でした。この時が確か2006年4月頃でして、いよいよ引っ越しの日が2ヶ月後に迫っていました。自分はここら辺からホントに嫌でしたが、引っ越しに向けて少しずつ荷造りを始めた記憶です。本棚の本を段ボールに詰めていましたね。懐かしい。この頃には自分はパチンコ屋には全く行かなくなっていました。そう、以前の記事で東○荘事件以降自分はパチンコ屋に行く気力が全く無くなってしまった、と書きましたが、その主な原因は東○荘事件によって自分が甚大な精神的ダメージを受けたからです。ただその他の要因として、「引っ越しの日が近付いてきて、もうパチンコどころではなくなってしまった。」、という所もあったように思います。今回の記事は、そこら辺の理由をもう1度考えてみまして、さらに東○荘事件以降の流れをまとめてみたいと思います。東○荘事件が起こり、自分がパチンコ屋に行かなくなったのは、引っ越し当日の3ヵ月程前(2006年3月頃)だったのですが、この頃になると「引っ越し(一人暮らし)が3ヵ月後に行われる」と考えただけで、自分の脳内はパニック状態を陥る感じで、パチンコどころではなくなっていました。そう、ただでさえ自分の心身は鬱でぶっ壊れまくっており、超超虚弱状態に陥っていましたから、この状態で引っ越しをするとなると何もかもが不安でたまらなかったのです。まして、この引っ越しは自分がしたいからする引っ越し(一人暮らし)ではなく、「殺しても殺し足りない」程憎い両親がする引っ越しに、自殺を担保にしてついて行くという形です。そりゃもうパチンコで稼ぐどころではありません。そして、先程も書きました通り、自分は東○荘事件によって甚大な精神的ダメージを受け、「朝起きれなく」なってしまいましたから、これらの理由でパチンコで稼ぐ気力が全く無くなってしまった、という事になります。




そのような流れで自分は東○荘事件以降パチンコで稼ぐ事が出来なくなってしまいました。そこからの意識朦朧とした日々は、過去記事から引用したいと思います。



『東○荘事件以降の自分はさらに寝付きが悪くなり、眠りの質も激烈に悪化しましたから、起きている時間も猛烈な疲労感と眠気に襲われ続け、常に意識朦朧としていました。肉体的にぶっ壊れまくってしまったのです。そして精神的にも果てしない不安感と孤独感と絶望感と憎しみと理不尽感と虚無感とでぶっ壊れまくっていました。もはや生きている事自体が滅茶苦茶な拷問状態でした。そんな状況では「自殺願望」が「自殺企図」に変わりますし、脳だってそんな状況は記憶したく無いでしょう。』



このような状態の中で自分はなんとか机に向かってノートを開き、引っ越しに関する以下の3つの選択肢を検討したのです。



①引っ越しについて行く。

②一人暮らしをする。

③自殺する。



最終的な結論は、「引っ越しについていく方向でとりあえず動いてみて、ストレスで自我が保てなくなった時点で自殺しよう」となりました。そして、自分はホームセンターで首吊り用の資材を購入し、自分の部屋にそれをセッティングした上で、妹とコンタクトを取った、という流れになります。我ながら東○荘事件以降のカオスな日々の流れがよくまとまりました。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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