鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

両親に引っ越しの慰謝料30万を要求するも、本当に要求したかったのは3億(2006年5月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「引っ越しの準備が進んでいく(2006年5月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が引っ越しの準備を進めていった、という話でした。いよいよ引っ越しの日が1〜2週間後に迫っていましたから、部屋のモノを段ボールに入れたり、引っ越し先の自分の部屋の様子を見に行ったり、色々動いていましたね。ただ相変わらず健康状態は最悪です。肉体的には極度の疲労感と眠気に襲われ続けていましたし、精神的にも果てしない不安感と憎しみと理不尽感と虚無感の嵐の中におり、意識朦朧とした状況で生活していたのです。そんな状態でも自分はしたくもない引っ越しの準備を進めないとならなかったですから、肉体的・精神的苦痛は想像を絶するものがあり、「首吊り」という最終安全装置を脇に置いておかないと、その準備を進める事など出来るはずもありませんでした。



さて、そのような状況の中で自分は妹をパイプ役にして両親と引っ越しに関するやりとりをしていました。ただまぁ前回の記事にも書きましたが、このやりとりが殺人的にキツかったのです。そう、何度も書いていますが、自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在でしたから、その両親とやりとりをするというのは、例え妹をパイプ役にしていたとしても、耐え難く、おぞましい精神的ダメージを自分に与えて来たのでした。というか、そもそも自分にとっては妹も「殺しても殺し足りない」程憎い存在だったのです。そのような妹とコンタクトを取らざるを得ない状況に追い込まれた事自体が自分の中に凄まじいストレスの嵐を巻き起こしていましたし、その上妹を通じて両親とやりとりですからね。ですから、妹をパイプ役にして両親と引っ越しに関するやりとりを進めていく作業は、殺人的にキツイものがありました。だからこそ、「首吊り」という最終安全装置が絶対的に必要だったのです。



自分はそのような殺人的なストレスの中で引っ越しの準備を進めていった訳ですが、妹を通じて両親とやりとりをしているうちに、両親から「慰謝料」を出させたくなったんですよ。そう、自分はこの引っ越しと東○荘事件において殺人的な精神的ダメージを受けている訳で、「慰謝料をよこせ!!」と言いたくなったのです。そう、そのせいでパチンコで稼ぐ気力も無くなってしまいましたからね。そこで確か30万くらいを妹越しに要求した記憶です。ただし、「慰謝料」という言葉の意味で考えると、本当は自分は30万ぽっちでは全く足りないと思っていました。何故なら自分の30年間の人生はこの両親によって滅茶苦茶に破壊され尽くされてきたからです。そう、この家庭に育ったせいで自分のコミュニケーション能力は全く育たず、精神年齢の成長は小学校3年生で止まり、学年が進めば進むほど周りのクラスメートとのコミュニケーションが困難になっていきました。高校時代には孤立感から鬱を発症し、それは2つの大学生活や引きこもり期間や東○荘事件を経て、12倍にまで悪化していました。そう、自分の輝かしい青春時代はこの両親によってぶち壊されたも同然でした。自分にまともなコミュニケーション能力が育っていれば、一流企業に就職して良い稼ぎを得られる可能性が高かったと思うのですが(実際自分の所属していた大学空手部の先輩達は皆そのような企業に就職していました)、実際の大学時代の自分は「鬱の廃人」のような状態でしたから、就職活動どころかゼミ活動さえ、無理な状況だったのです。なんというか、この家庭で育った事での「機会損失」は凄まじいものがあると自分は感じていました。一流企業に就職できていれば生涯年収は数億円ですからね。お金だけではありません。高校や大学において周りの友人達と充実した楽しい学生生活を送る機会も全て奪われてしまいました。自分は高校以降異性どころか同性とのコミュニケーションすら成り立たなかったからです。そして、さらに重要なのは、そこでの孤独感の蓄積により、身体も壊れていったという事です。毎度毎度のいつもの大学空手部時代の鬱の諸症状のコピペになります。




・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎




上記の鬱の諸症状は、2つ目の大学生活、尿管結石、引きこもり期間、東○荘事件を経て、さらに4倍以上に悪化していきました。そう、ですから自分はこの両親によって肉体的・精神的に2度殺されたと思っているのです。1度目は28歳で引きこもるまでの28年間で、2度目は今回の引っ越しと東○荘事件。ですから、自分は自分が2度殺された事への慰謝料を請求したかったですし、さらに自分が一流企業に就職出来なかった事での機会損失、それも請求したかった。ですから、本当に自分が親に請求したかった金額は3億円くらいです。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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