鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

大きな物置の引っ越しに再チャレンジ(2006年6月26日・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 新しい部屋にも鍵を付ける(2006年6月26日・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が引っ越し先の部屋に鍵を付けたという話でした。そう、自分の心の中には引っ越し後も「睡眠中に激昂した父親が部屋に突入してきて、自分は殺されるかもしれない」という恐怖心が凄まじくあったのです。ですから、少しでもベッドで寝付く際の恐怖心を減らす為には部屋に鍵を付ける必要がありました。しかし、その鍵は簡易的な鍵でしたから恐怖心を減らす作用はそこまで無かった記憶です。さて、このような睡眠時の果てしない恐怖心も含めて、自分はこの引っ越しにおいて致命的過ぎる精神的ダメージを受ける事になりました。ここで改めて以前の記事でまとめたその一覧を貼らせて貰いたいと思います。



「引っ越しと東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」



①15年間住み続けた凄まじく愛着のある部屋を奪われる。



② 家庭環境によって自分の学生時代が滅茶苦茶に破壊された上、親が言い出した引っ越しの為にさらに時間やエネルギーを割かなければならない。



③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。



④記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。



⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、その後も一つ屋根の下で住み続けなければならない。



⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してきて、自分は殺されるのでは??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いだけだった。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な無力感と虚無感と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件によりこれは倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、激烈な無力感は慢性的な疲労感の極限化の一因にもなった。




毎度毎度書いてますが、よくまとまりました。さて、自分は上記の致命的過ぎるストレスを受けながらも、首吊りを心の支えにして、引っ越し作業を進めていきました。そして、引っ越し当日を迎え、新しい部屋に荷物が運ばれ、とりあえずは一通り生活が出来る状況になったのです。そう、その流れで自分は新しい部屋の扉に鍵を付けまして、その後夜を迎えると食事を取り、電子レンジを買う事にしたのでした。さらにこの引っ越し当日だったか、後日だったのかは定かでは無いのですが、早々に自分は新しい部屋でも首吊りの準備をしました。そう、引っ越しが終わったと言っても、上記の7つのストレスは凄まじい勢いで自分の心身に致命的なダメージを与え続けていたのです。自分の心は悲鳴を上げ続け、この「果てしない精神的苦痛」と「果てしない肉体的苦痛」からの解放を強く望んでいました。自分は依然としてこの致命的過ぎるストレスにより自分の自我が壊れる可能性も感じていましたから、やはりここでも最終安全装置としての「首吊り」の準備は必須だったのでした。自分は自分の自我が崩壊する寸前まできたら、この最終安全装置によりこの世界から離脱するつもりだったのです。



さて、引っ越し当日の夜の話に戻ります。自分は食事を取った後、この新しい部屋に対して相変わらず凄まじい居心地の悪さを感じていました。そりゃそうです。自分はこの部屋に引っ越して来るまでに、上記の①〜⑦のストレスをがっつり食らった訳ですから。そんな凄まじい居心地の悪さを感じながら、自分は新しい部屋を眺めていたのですが、この新しい部屋の大きさって以前住んでた部屋の2倍以上もあるんですね。ですから、この新しい部屋には家具を入れた後にもけっこう空いているスペースが見受けられました。そうそう、自分は家具の配置を以前住んでた部屋のまんまで配置しましたから、そうするとけっこうスペースが余ってしまったのです。自分はその空きスペースを見て閃きました。「あれ?これ前の部屋にあった大きな物置を持って来れたんじゃね?」、と。そう、以前住んでた自分の部屋には備え付けの大きい物置があったのですが、それはかなり大きい物置で、今回の引っ越しでは持って来れなかったのです。物置の大きさは、横幅74cm×奥行き60cm×高さ220cmでして、特筆すべきはその高さです。自分の身長より全然大きく、重さもありましたから、これを移動させるのはかなり大変そうな印象でした。それで実際に自分は今日来てくれた引っ越し業者にこの物置も持って行ってくれるよう頼んだのですが、大き過ぎて運べないと言われ断られたのです。大き過ぎて階段を通って降ろせないとの話でした。ですから、自分はこの物置を諦めたのですが、改めて新しい部屋の空いているスペースの横幅×奥行き×高さを測って見ますと、先程の物置きの大きさとほぼほぼ一緒な事が分かりました。自分はこう思いました。「今日の引っ越し業者はあの物置を持っていけないと言っていたけど、やっぱあれ運べるんじゃないか??」、と。そう、自分は大学時代に引っ越し屋さんでバイトしていましたから、けっこうな大きさな荷物でも「吊り」という方法で運べる事を知っていました。荷物をロープでくくり、階段を使わず、窓から荷物を吊って直接下に降ろすのです。大きな物置が諦められない自分は、もう1度これの引っ越しにチャレンジしてみようと思いました。この大きな物置の引っ越しだけの為に改めて引っ越し業者に依頼するのです。お金は親に払わせる算段でした。



どうして自分がこの大きな物置にこだわっていたのか、という話ですが、やはり自分は以前住んでいた部屋に限りない愛着を感じていましたから、あの部屋にあるものは極力全て持って来たかった、という所が大きかったように思います。そう、あの部屋には自分の15年間分の血と汗と涙が染み付いていたのです。ですから、自分はあの部屋にあった大きな物置にも強い愛着を感じていました。この物置にも自分の15年間分の様々な思い出が染み付いていたのです。様々なモノ(大学空手部時代の道着、高校の制服、昔遊んでいたゲーム機などなど)をそこにしまっていました。そうそう、扉に貼ったシールやゲームキャラの張り紙なんかも懐かしいものでした。もちろん、物置としても大きくて有用でしたから、新しい部屋の収納場所としても活躍できそうでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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