鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

パチンコ稼業を再開出来なかった理由(2006年8月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「新しい最寄駅でパチンコ屋のリサーチ(2006年8月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が新しい最寄駅の周りを探索し、最寄駅周辺のパチンコ屋のリサーチを始めた、という話でした。この新しい最寄駅の周辺には3店舗ありまして、自分はそれぞれのお店の釘や換金率をチェックしていきました。3店舗のうちの1店舗はパチンコⅣ期で稼がせて貰ったA店のチェーン店だったのですが、さすが同じチェーン店だけあって釘の開きが良さげで稼げそうな空気がプンプンしていましたね。しかもこのお店はグランドオープン直後でしたから、そりゃ稼げないはずがありません。A店のグランドオープン時はかなり稼がせて貰いましたから、同じチェーン店のグランドオープンは激アツ間違いないのです。とまぁそんな感じで自分は新しい最寄駅周辺の3店舗を周ってみました。その感想としては「打てば稼げるんだろうけど、、やはり打つ気力が全く回復しない」でした。その理由にはいくつか考えられますが、まずは自分が引っ越しで受けた心身のダメージが致命的だったという事です。以前の記事でまとめたダメージ一覧です。



「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧」


①15年間住み続けた愛着のあり過ぎる部屋を奪われる。


② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって、自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。


③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する可能性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。


④前年の記憶のサルベージによって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。


⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、これから先も一つ屋根の下で住み続けなければならない。


⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してくるのではないか??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いのみ。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な虚無感(無力感)と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件により倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、慢性的な疲労感の激烈化の一因にもなった。



⑧自分の身体が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思うように動かない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。そして、起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。




このように自分は引っ越しと東○荘事件により心身に致命的なダメージを負う事になりました。それにより睡眠の質が極限まで劣化し、日常生活は常に「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配されているような状態でした。それらは甚大な肉体的苦痛と精神的苦痛をもたらし、息をしているだけでも滅茶苦茶な拷問を受けているような状態だったのです。そして、最近の記事でも書いていますように、1日24時間のうち18時間くらいはベッドで横になっている生活でしたから、こんな状態で朝早くパチンコ屋に赴き、そこから夜8時までパチンコを打ち続ける生活をするなんてひっくり返ったって無理な状態でした。自分は極度の鬱状態に陥っていたのです。これがパチンコを再開出来なかった大きな理由です。




他の理由としましては、上記の理由からの派生みたいなものですが、「新しいJR沿線のパチンコ屋をまた1軒1軒リサーチしていく気力はもう無かった」というものもあります。そう、今回の引っ越しによって最寄駅も鉄道会社も新しくなりましたから、本気で稼ぐつもりならば、またこの新しい沿線の駅30駅を1つ1つ降りて行き、駅前のパチンコ屋を全てリサーチせねばなりません。しかし、極度の鬱状態の自分にそれをやる気力は全く残っていませんでした。そう、なんだったらそれに対しても莫大な理不尽感を感じていましたね。「自分の心身は引っ越しによって滅茶苦茶にぶっ壊されたというのに、さらにまた引っ越しのせいで膨大な労力を使わなければならない訳???」、と。




さらに他の理由としましては、自分が「新しい最寄駅」ではなく、「以前愛用していた最寄駅」を使う手もあるにはあったのですが、それもやはり厳しい感じだったのです。そう、新しい引っ越し先の家と以前の家とでは原付で15分くらいの距離でしたから、15分かけて以前の家に戻り、そこから以前の最寄駅に向かうという手もあるにはありました。以前の最寄駅を使えれば、18年間愛用していた鉄道会社を使えますし、そこの沿線50駅は全てのパチンコ屋がリサーチ済みですから、新たにリサーチする必要は全くありません。ただね〜、この「原付で15分」が自分はどうしても許せなかったのです。これまで書いていますように自分はただでさえ「起きれなく」なっていましたから、パチンコの為の朝7時起きなんて到底無理な話になっていました。さらに以前の最寄駅を使うとするなら「15分」余計に早く起きなければならない訳で、もっと到底無理な話です。また、仮に朝起きれたとしても、原付で以前の最寄駅に向かう途中、自分の心の中は「あいつらの引っ越しのせいで15分余計にかかる事になってやがる!!!」と、両親に対する憎悪の炎が燃え上がるに違いありません。その憎悪の炎は自分の心身を焼き尽くす程の勢いで燃え上がるでしょうから、自分はそこでも甚大な精神的苦痛を味わう事になります。その痛みで「今日もパチンコ1日頑張るぞ!」なんて前向きな気持ちは一瞬で吹き飛んでしまうだろうと自分は考えました。



まとめてみますと、これまで書いてきていますように、自分の心身は引っ越しと東○荘事件によって甚大なダメージを受けましたし、家族への憎しみも「殺しても殺し足りない」程の憎悪に変化していました。そして、新しい最寄駅付近をリサーチする気力は皆無でしたし、以前の最寄駅を使う気力も皆無でした。そんな「鬱の廃人」+「鬱の狂人」な状態ではパチンコ稼業の再開はとても無理だった、という感じになります。そして、この事実に気付いた自分は、家族への憎悪をより募らせていく事になるのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。







にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ




https://room.rakuten.co.jp/room_49366c0830?scid=we_rom_iphoneapp_mr_others




PVアクセスランキング にほんブログ村