鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「貯金を取り崩す」or「親に補償させる」(2006年8月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「引っ越しが原因でパチンコへのモチベーションと月30万の収入が消失(2006年8月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がパチンコに対するモチベーションを失い、月30万の収入も失ってしまった、という話でした。自分は引っ越しと東○荘事件によって、生まれ初めての自分らしいやり甲斐のある日々を失い、さらに収入も失ってしまった、という事になります。これによって自分の心の中には無力感や虚無感や理不尽感もかなり発生した印象です。そして、自分は引っ越しや東○荘事件の引き金となった家族に対してさらなる憎しみを感じるようになったのです。家族に対する憎悪は「殺しても殺し足りない」程まで膨れ上がっていました。



さて、このような状況で自分は改めて生活費について考えてみました。引っ越しと東○荘事件によりパチンコ稼業を続ける事が出来なくなり、月収30万を失った訳ですが、さりとて他で働いて稼ごうという気にはさらさらなれませんでした。何故なら自分は引っ越しと東○荘事件により、「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態に陥っていました。1日のうち18時間をベッドの上で過ごさざるを得ない生活に陥っていたのです。そして起きている6時間も殺人的な疲労感と殺人的な眠気で意識朦朧としていました。このような状態では、働ける訳がありません。自分は以前働いていた古本屋を「日本一楽なバイト」だと思っていましたが、このような状態では、あの古本屋でのバイトだって到底無理な状態でした。




働けないとなると自分は完全に収入に失ってしまいます。日々の生活費を貯金を取り崩して捻出せねばなりません。しかし、自分にとってその選択肢は絶対に許せない事でした。この時点で自分の貯金は150万程あった記憶ですが、このほとんどはパチンコⅣ期で稼いだ貯めたお金です。そう、パチンコⅣ期の前半の3ヶ月間は希望に満ち溢れ、とてもやり甲斐のある生活ではありましたが、それでも長年の鬱による慢性的な疲労感と眠気が酷く、自分はそれに耐えながらなんとか朝から晩までパチンコを打ち続けていました。そして、後半の3ヶ月間は引っ越しの話が出て来た事でモチベーションが半減した中でのパチンコになってしまいました。自分にとってパチンコ稼業はただでさえしんどい仕事でしたが、この引っ越しの話が原因で自分の心の中には膨大な不安感と憎しみが発生し、半ばパニック状態でパチンコを打つ事になってしまったのです。そう、ですからこの貯金は自分が鬱状態とパニック状態に半年間必死に耐えた中で作った150万であり、虎の子の150万でした。そして、今回自分がパチンコへのモチベーションを失った原因は100%両親にありました。両親が言い出した引っ越しが原因で自分は致命的なストレスの嵐に巻き込まれ、首吊りの用意をせねばならない程追い込まれましたし、その結果「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態に陥ってしまったからです。一連の騒動によって自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在となりました。そして今度はそんな「殺しても殺し足りない」程憎い親のせいで、自分の虎の子の150万を取り崩さねばならない事態に追い込まれてしまったのです。自分がこの事態を承認する事など決して出来ませんでした。




振り返ってみますと、自分はこの両親が作った家庭環境が原因で、精神年齢の成長が小学校3年生で止まり、学年が進むにつれ周りの同級生とのコミュニケーションがどんどん困難になっていきました。結果高校1年生で孤独感の蓄積から鬱を発症、それは1つ目の大学・2つ目の大学でどんどん悪化していき、自分の心と身体はすごい勢いでぶっ壊れていきました。そして、27歳の時には尿管結石を発症し、父親から信じられない暴言を食らうハメに。その後自分は28歳で矢尽き盾折れ、部屋に引きこもる事になったのです。そう、鬱が高校時代の6倍にまで悪化し、社会生活を続ける事が困難となり、全ての社会生活と家族から脱落する事となりました。このように自分は精神的・肉体的・社会的に1度親に殺されたも同然でした。そして、さらに今回の引っ越しと東○荘事件によりもう1度殺されたも同然だったのです。ですから引っ越しと東○荘事件の後、自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在となっていたのです。




ですから自分は自分の貯金を取り崩さねばならない事態を絶対に許す事が出来なかったのです。「あいつらに2度殺された上になんであいつらのせいで虎の子の貯金を取り崩さなければならない訳????」、と。




こうなってきますと1つ目の選択肢「貯金を取り崩して生活する」は、本当に厳しい選択肢でした。すると自分の中には2つ目の選択肢が出てきました。それは「親に言って月々の生活費を補償させる」です。しかし、この選択肢も気を失う程の精神的苦痛となるのは目に見えていました。何故なら自分にとって両親は「殺しても殺し足りない」程憎い存在だからです。自分は引っ越しについていく時だってこの両親とコンタクトを取る事は絶対に有り得ない話でしたから、妹をパイプ役にせねばならなかったのです。そして、妹もまた自分にとっては「殺しても殺し足りない」程憎い存在でしたから、そんな妹とコンタクトを取る作業は自分の中に致命的なストレスの嵐を巻き起こしました。自分はその精神的苦痛で自分の自我が壊れる危険性を感じ、首吊りの用意をせねばなりませんでした。それ程までに自分は親とのコンタクトに致命的なストレスを感じており、例え生活費を補償させるコミュニケーションであっても、それが自分の中に絶望的な精神的苦痛を呼び起こす事は目に見えていました。かと言って最初の選択肢「貯金を取り崩す」も絶対に認められない選択肢です。そう、ここにきて自分はまたも地獄の2択に追い込まれてしまったのでした。






今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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