鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる②(2007年3月・32歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、久しぶりに「花粉症発症→ぎっくり腰事件」について思い出してみました。今回の記事もこの事件について考えてみます。自分は花粉症発症によって、「殺しても殺し足りない『以上』」の憎悪を家族に対して感じる事になりました。そして、その憎悪はコントロール不能な暴力衝動を発生させ、自分の心の中で暴れ回ったのです。それによって自分はあまりにも甚大な精神的苦痛を受ける事になりました。この時自分が感じていた家族に対する「殺しても殺し足りない以上」の憎悪、この感情の裏側には別の感情があったと自分は考えます。別の感情とは「無力感」「絶望感」「理不尽感」です。そう、自分はこの花粉症発症以前にすでに家族によって人生を2回滅茶苦茶にぶっ壊されていました。この時点で凄まじい量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生していたのです。そこに来てさらに花粉症のダメージが加わりましたから、今度は果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生したと考えて良いと思います。そして、この果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」は、凄まじ過ぎる精神的苦痛を発生させたのでした。




前回の記事では、この「花粉症発症→ぎっくり腰事件」について書せて貰った上で、とあるアニメ作品の1シーンについて書かせて貰いました。そう、その1シーンとは「中指を使った拷問シーン」です。ざっくり説明します。ここから残酷な表現を書きますが、ご了承下さい。例えば自分がその拷問を受ける場合、拷問者はまず自分の中指以外の指を机に固定します。その上で自分の中指を握り、それの中指を手の甲の方にどんどん曲げていきます。骨の構造上中指が45度くらいまで傾くと、それ以上は甲の方には引っ張っていけません。その時点で痛みも発生します。しかし、拷問者はさらに力を加えて中指を甲の方に曲げていきます。当然自分には凄まじい痛みが発生します。自分は泣いて「辞めてくれ!!!!」と懇願しますが、拷問者は構わずさらに中指を甲の方へ曲げていきます。そして、自分の中指の骨は限界を迎え、折れてしまうのです。この時自分が甚大な肉体的苦痛を感じるのは言うまでもありません。そして、同時に自分は果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」を感じると思うのです。何故なら、自分が涙を流して「辞めてくれ!!!!」と懇願しているにも関わらず、拷問者は構わず中指を甲の方引っ張り続けるのですから。その果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」により、自分の脳の一部は壊れてしまう事でしょう。話は「花粉症発症→ぎっくり腰事件」に戻ります。まさに自分が花粉症発症の際に感じていたのもこの果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」なのです。もちろんこれらは凄まじ過ぎる精神的苦痛を発生させます。そして、拷問者=両親です。ですから自分はこの凄まじ過ぎる精神的苦痛によって自分の脳の一部が壊れてしまったと考えています。




拷問の話に戻ります。このような拷問を受けた結果、中指の骨が甲の方に折れてしまうと、それを元の状態に戻すのってかなり難しいと思うんですね。最先端の医療技術を持ってすれば元に戻るのかもしれませんが、その後のリハビリを考えると気が遠くなります。このように元に戻す事が難しい変化を「不可逆的な変化」と呼ぶそうです。一方、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」によって自分の脳の一部は壊れてしまった感覚があるのですが、その感覚と先程の中指の骨折の感じがとても似ているように思うのです。つまり、脳の一部が凄まじ過ぎる量の精神的苦痛によって壊れてしまうと、もうそこから元の状態に戻るのはかなり困難な感じがするのです。「不可逆的な変化」ですね。つまり、脳が凄まじ過ぎる量の精神的苦痛によって壊れてしまうと、基本2度と元に戻らない、と。




そう、自分はこの感じは以下の現象とも似てると思うんですよ。「生卵」ってお湯で茹でると「ゆで卵」になりますよね。逆に「ゆで卵」を「生卵」に戻す事は出来ません。これも「不可逆な変化」です。まさに自分の脳内でも似たような変化が起こっていたような気がするのです。自分の脳の一部が凄まじ過ぎる精神的苦痛を浴び続けた結果、脳ではない単なるタンパク質に変化してしまった感じ。先程の卵の例えを当てはめてみても良さそうです。凄まじ過ぎる精神的苦痛によって、脳内に凄まじい炎症が発生。その激しい熱によって自分の脳の一部のタンパク質がゆで卵のように固まってしまい、機能しなくなってしまった。ゆで卵のように固くなってしまった箇所には血が通らず、神経も通っていないイメージです。うん、このイメージすごく良い!人体の不可逆な感じと脳のタンパク質な感じが上手く結びついています。いやぁ「中指の拷問」に続いて、またまたぴったりな例えを探す事が出来ました。素晴らしい!





今回の記事をまとめてみようと思います。



・「花粉症発症→ぎっくり腰事件」によって自分の中に果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生。それにより、自分の脳は凄まじ過ぎる精神的苦痛を受ける事となった。そして、その精神的苦痛により自分の脳の一部は壊れてしまった感じがする。



・この果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」は、とある拷問を受ける時に感じる感情と同質だと考えられる。その拷問とは中指を甲の方に曲げられ、最後には容赦なく折られてしまう拷問。



・この拷問で中指を甲の方向に折られてしまうと、元の状態に戻すのはかなり難しい。同様に脳も1回壊れてしまうとそれを元に戻すのもかなり難しい感じがする。それは例えるなら「生卵→ゆで卵」は出来るが、「ゆで卵→生卵」は出来ない感じと似ている。(不可逆的な変化)



・今回の「花粉症発症→ぎっくり腰事件」に関する精神的苦痛の流れをまとめてみると以下の感じ。



「花粉症発症→ぎっくり腰事件」によって自分の中に「中指の拷問級」の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生。


凄まじ過ぎる精神的苦痛が発生



脳内に凄まじい熱(炎症?)が発生(イメージ)



その凄まじい熱のせいで脳の一部のタンパク質がゆで卵のように固まってしまい、機能しなくなってしまった。その箇所はもはや血が通っていないし、神経も通っていない状態。(イメージ)




いいですね!素晴らしい!!


今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m






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