鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

あれ程まで恋焦がれていた「首吊り」への熱い思いが気付けば完全消滅(2007年10月・31歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 母親に鬱の因果を喋っていく(2007年10月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が母親に対して自分の人生を喋り始めた、という話でした。今回の記事も母親と喋り始めるまでの経緯を振り返っていきます。そう、本来なら自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い人間であり、すれ違うだけでもおぞまし過ぎて発狂してしまうような存在でした。本来ならそんな母親とコミュニケーションを取るなんて絶対的にあり得ない所業だったのです。しかし、自分は斜め向かいの家が飼い始めた「犬の吠え声」によって幻聴が聞こえてくる程精神的・肉体的に追い詰められました。自分はそれまでの人生において「首吊り妄想」だけを心の支えにして生きてきたのですが、この「犬の吠え声」によってその実現確率が過去イチ高くなっていたのです。そのような状態で「首吊りをする前に本当にやり残した事は無いのか??」と自問自答を繰り返していると、以下のようなこれまでなら絶対にあり得ない選択肢が出現したのでした。


「犬の吠え声で苦しくて堪らない気持ちを母親に理解させる為に、自分のこれまでの31年間の歴史を全て母親に喋ってみる。」


ただし、この選択肢を選べば、自分はさらに果てしない精神的苦痛を受けるのは確実です。「殺しても殺し足りない」程の憎い母親とコンタクトを取るだけでも発狂もののなのに、コミュニケーションを取り、さらに自分の孤独と挫折しかない恥まみれの人生を喋るというのですからね。こんなのは3重の意味での拷問です。ですから、犬の吠え声出現後、自分の中には以下の選択肢があったという事になります。



①首を吊って、果てしない量の精神的苦痛と肉体的苦痛から解放される。



②生きる為に「母親に自分の人生を喋る」という3重の拷問を受ける。



これはギリギリの選択ですねぇ。②の選択肢に関しての補足としては、自分はそれまでの31年間においてすでに果てしない量の精神的・肉体的苦痛を受けている訳で、そこにさらに3重の拷問を受けるという事です。そして、もう一つの補足としましては、以前の記事にも書きました通り②の選択肢には3つのプラスの伏線があった、という話になります。以下過去記事から引用になります。




『1つ目は自分がそれまでの14ヶ月間、母親から生活費を受け取り続けていた、という事です。自分はこの生活費によって自分の貯金を減らさずに生活する事が出来、ホッとする気持ちも持っていました。そんな中で母親への信頼感が僅かずつながら積み重なってきていた、という状況ではありました。



2つ目は自分が2年ほど前に自分の人生を全て言語化し(記憶のサルベージ)、その因果関係を全て繋いでいった、という事です。これにより自分は自分への自信を大きく取り戻し、誰かに自分の人生を聞いて貰いたい、という強い欲求を抱くようになっていました。ですからこの作業を終えた自分はカウンセリングに通い、そこでこの話を聞いて貰っていたのです。このカウンセリングへの強い欲求は引っ越しが原因で消滅してしまいましたが、そうは言っても自分の心の奥底では「喋りたい」欲求はくすぶっていたと思います。




3つ目は先程の記憶のサルベージによって、家庭環境によって自分の人生が滅茶苦茶に破壊された事を理解していた、という事です。そしてこの家庭環境を作っていたのは、父親と母親ですから、自分の人生が破壊された責任の半分は母親にある、という話になります。もちろん、この理解によって自分が母親に感じる憎しみは「殺したい」くらいにまで膨れ上がり、コミュニケーションはますますあり得ない状況になりました。そして、その憎悪は「引っ越し」と「東○荘事件」と「花粉症発症→ぎっくり腰事件」によって、「殺しても殺し足りない」以上のものとなり、絶対にコミュニケーションなど有り得ない状況になったのです。しかし、もしこの「「殺しても殺し足りない」以上の憎悪を乗り越えられたとするなら、先程の2の欲求は母親にぶつけるのが一番理にかなっているのです。何故なら、自分の人生は両親が作った家庭環境のせいで2度殺されたも同然です。それならばその半分の責任を負っている母親に対して直接その恨みつらみをぶつけるのは、一番わかりやすい形です。』



引用終わり



そう、上記の3つの伏線は②の選択肢を選ぶ上でのポジティブ要素だったと思います。そして、①と②を天秤に掛けてみると、②が勝った、という事になります。いや〜今回の選択もホントキツかったです。これまでも自分は様々な選択肢を選んで来ましたが、「東○荘事件」の際の家に帰るかどうかの選択肢と同じくらいしんどかった気がします。あの時は「自殺」という選択肢は無かったですが、「家族3人から袋叩きにされる」という余りにも衝撃的な事件の後の選択でしたからねぇ。また、思い出してみますと引っ越しの際の選択もキツかった。「引っ越しについていくか」「一人暮らしするか」「首を吊るか」の3択。結論としては「首を吊る準備をした上で、妹とコミュニケーションを取り、引っ越しについていく」という選択になったのですが、あれもキツかった。そして、今回の「首を吊る」or「母親に喋る」という選択肢です。今回な選択肢もホントにキツい選択でした。ただし、今回の選択はこれまでの選択とは明らかに違う点がありました。それは選択肢を選んだ直後から「首吊り企図」が一気に消えた、という事です。そう、自分が母親と喋り始めると、過去イチ高まっていた「首吊り企図」がパタっと消えたのです。これはこれまでには無い展開でしたね。




そう、振り返ってみますと、自分は大学空手部時代から「首吊り願望」のみを心の支えにして生きてきました。そして、それは鬱の悪化と共に強くなっていき、 「引っ越し及び東○荘事件」によって「首吊り企図」へと変化しました。そして、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」が起こり、今回の「犬の吠え声事件」です。犬の吠え声が出現した事で「首吊り企図」の実行確率は過去イチ高くなっていたと思います。しかし、自分は自問自答を何度も繰り返し、「母親に喋る」という選択肢を選びました。すると、過去イチ実行確率が高くなっていた「首吊り企図」一気に消滅してしまったのです。あれは母親と喋り始めて半年から1年くらい経ったころでしょうか?自分は「あれ???そういえば俺最近、首吊りの事考えてねぇな??」って思った記憶があるんですよ。そう、あれ程まで恋焦がれていた「首吊り」への熱い思いが気付けば消えていたのです。首吊りへの「超暗黒的な傾倒」が自分の中から消えていたんですよ。そう、10年以上に渡って自分の心を支えてくれた「首吊り願望」が、母親と喋り始めてから消滅していました。そして、母親と喋り始めてから現在に至るまでの15年間、それは一回も出現していません。




そう、自分が母親と喋り始めた事で、日々自分が感じていた殺人的な疲労感や殺人的な眠気が軽減するする事は一切無かったですし、コントロール不能な暴力衝動が減る事も無かった印象です。やはり「母親と喋る」という行動自体が果てしない精神的苦痛を生み出している面がありましたからね。ただし、「首吊り願望」に関してはすごく効果があった事は確かです。10年以上に渡って自分が唯一の心の支えにしていた「首吊り願望」が完全消失してしまったのですから。その意味では、母親と喋り始めた事は、鬱からの回復の為の大きな一歩だったと言って良いのでは無いかと思います。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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