鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

尿管結石事件を中指の拷問で例えてみる(2007年12月・31歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「人生における自己矛盾まとめ(2007年12月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が両価的だった時期(自己矛盾を起こしていた時期)についてまとめてみました。とりあえずはこんな感じです。前回の記事からの引用になります。



『「両価的だった時期」


①母親と喋り始めた時期(2007年11月・31歳)


②引きこもりが始まった時期(2004年9月・28歳)

③引きこもりが終わった時期(2005年9月・29歳)

④引っ越し後(2006年6月〜)


⑤パチンコⅣ期(2005年9月〜2006年3月・29歳〜30歳)


⑥大学空手部の3年間(1995年4月〜1998年4月・19歳〜22歳)




そしてそれぞれの時期の自己矛盾が以下の通りになります。



・自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在。そんな母親と喋る事なんて絶対にあり得ない。


・自分の人生を母親に喋りたい!!




・学校生活で周りとコミュニケーションが取れず、心身が壊れて行った結果、社会生活と家族から完全脱落。結果「引きこもらざるを得なかった」


・大学でカウンセリングを6年間受けた続けた結果、ノートを使ったセルフカウンセリングが出来る様になっていた。すると、自分の中に『セルフカウンセリング技術を使って自分の「過去」を全て言語化してみたい』、という激しい欲求が発生。それに専念する為に「自分の意志で引きこもった」




・引きこもりの1年間は素晴らしい1年間だった。この1年間で自分は自分に対する自尊心を劇的に回復させる事が出来た。

・引きこもりの1年間は気が狂った1年間だった。鬱の諸症状は全く改善しなかったし、家族に対する「殺したい」程の憎悪もそのまま残った。




・殺人的な疲労感と眠気に自分の時間と生活を支配されてしまっている事に対する無力感と情けなさ。



・自分はこれまで散々慢性的な疲労感と眠気に抗って生きてきたが、それで自分の人生が上手く行くことは無かった。上手くいくどころか、転落していく一方。もはや、それらに抗う気力は全く無いし、それらに自分の意思決定を委ねたい。




・パチンコ稼業に対するとても高いモチベーション


・パチンコ稼業の最中に感じる鬱の諸症状が原因の甚大な肉体的・精神的苦痛




・空手部の練習メニューが自分にとっては厳し過ぎ、死の恐怖が発生。それに3年間晒され続けた結果、鬱が3倍に悪化し、鬱の廃人のような状態に陥った。最悪の3年間。



・あの3年間は空手部を文字通り『必死に』頑張った3年間。ただひたすらに鬱が悪化していくだけの3年間だったが、あれはあれで『必死に』何かを頑張っていた、という点において『自分なりの素晴らしい青春時代』。』



引用終わり



よくまとまりました。そして、この①〜⑥の自己矛盾の中で最も大きいモノが、①の自己矛盾、と。なるほど〜。そう、ですから自分は過去最大の自己矛盾を抱えながら、2007年11月に母親と喋り始めた、という事になります。さて、ここら辺で2007年11月以降の話に進みたい所なのですが、その前にもう一つ書きたい事が出てきてしまいました。それは、2007年3月の「花粉症発症→ぎっくり腰事件」についての話です。とりあえず、この事件の概要のコピペを貼りたいと思います。



「花粉症発症→ぎっくり腰事件」


新しい家の裏山の杉林が原因で、花粉症を発症。これにより家族に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪がさらに激しく燃え上がり、その凄まじ過ぎる炎は自分の心身を激しく焼いていった。そして、その憎悪の裏側では、果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」も発生。その凄まじ過ぎる精神的苦痛は「中指の拷問」を受け、中指を折られた時と同じくらいな印象。さらに、その凄まじ過ぎる精神的苦痛により、脳内に激しい炎症が発生し、その激しい熱で脳の一部が壊れてしまった感じもある。それは生卵を茹でるとゆで卵に変化するのと同じ原理。脳内で激しい炎症が起こり、その激しい熱で脳の一部のタンパク質が固まってしまい、血や神経が通わなくなる(壊れる)イメージ。さらに「無力感」「絶望感」「理不尽感」のピークでぎっくり腰発症。果てしない肉体的苦痛も浴びる事になった。(「中指の拷問」の詳細はこちら→ 「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳))



引用終わり



上記にありますように、自分はあの事件で感じた凄まじ過ぎる精神的苦痛を「中指の拷問」を使って例えたのですが、この例えが思いの外使い勝手が良い印象なんですよ。この例えを使って、他の状況も例えられるような気がしてきたのです。ここから先はこの「中指の拷問」の例えを使って、他の状況を書いて行きたいと思います。ではこの例えを使って何の状況を例えられそうなのか、という話ですが、それは2003年(27歳)に発症した「尿管結石事件」です。この尿管結石により自分は甚大な肉体的苦痛を受けましたし、さらに発症直後には父親から信じられない暴言も食らいました。この暴言による精神的ダメージもまぁエグかった。(〜痛みに悶える自分に父親が言い放った破壊的暴言〜尿管結石にのたうち回った1日②)あの暴言により自分は父親に対して「殺したい」程の憎悪を抱く事になったのです。そして、この暴言から30分後くらいに自分は病院に運ばれました。そこで余りにも尿管結石の痛みが凄まじかったものですから、父親に看病して貰わざるを得なかったのです。これもホントにキツい事でした。何故なら自分にとって父親は「殺したい」程憎い人間です。つい先程父親は尿管結石の痛みでのたうち回る自分に対して信じられない暴言を投げつけてきたのですから。そんな「殺したい」程憎い父親に自分はベットの中に入ってお腹をさすって貰ったり、水を飲ませて貰わねばならなかったのです。これは屈辱以上の汚辱でした。しかし、自分はそんな父親に看病を頼らざるを得ない程尿管結石の痛みで苦しんでいたのです。そう、あれは「自我を破壊する」程の痛みでした。自分の自我は破壊され、「殺したい」程憎い父親でも縋らざる(すがらざる)を得なかったのです。あの時はあぁするしか仕方なかったのですが、痛みが引いてくるにつれ自分の中には屈辱感以上の汚辱感が湧き上がってきたのでした。この「父親に看病して貰った場面」、ここで自分が受けた肉体的・精神的ダメージは「中指の拷問」を彷彿させます。



このように自分は病院に運ばれた後、自我がぶっ壊れる程の痛みに2〜3時間耐えねばなりませんでした。途中、余りの痛さに胃の中のモノがリバースする現象も起きていましたね。自分はあまりの痛みにうめき声を何度も上げ、ベッドの上で七転八倒し続けました。そして、痛みに耐え続けて2〜3時間後血尿が出始め、ようやく痛みのピークが去っていったのです。これには心の底から安堵しました。「マジで良かった〜〜〜〜」って感じでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m




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