鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

尿管結石事件のここまでをまとめてみる〜尿管結石事件⑧(2007年12月・31歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 「尿管結石事件」=「花粉症→ぎっくり腰事件」〜尿管結石事件⑦(2007年12月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が1年ぶりに母親と喋り始めたものの、母親と激しい口論になり、そこでも凄まじい精神的ダメージを受けた、という話でした。そう、その精神的ダメージは「中指の拷問」と同レベルのダメージ量だった印象です。ではここで、改めて尿管結石事件のここまでを振り返ってみたいと思います。自分があの事件で受けた精神的・肉体的ダメージはここまでで以下の4つになります。



①尿管結石発症の際に父親から信じられない暴言を食らった。その暴言により父親への憎悪は「殺したい」程のモノとなった。(詳しい話はこちら→〜痛みに悶える自分に父親が言い放った破壊的暴言〜尿管結石にのたうち回った1日②)


②尿管結石の凄まじい痛み→病院へ担ぎ込まれる。


③尿管結石の痛みが余りに凄まじいので「殺したい」程憎い父親に看病を頼らざるを得ない。後から考えるとこれは「屈辱感」という言葉ではとても言い表せない程の「汚辱感」。


④尿管結石の痛みが収まってくると自分の中で凄まじい安堵感が発生し、その安堵感を父親と共有してしまった。一方、痛みが収まってきた事で自我が復活し、父親に対する「殺したい」程の憎しみも復活していた。つまりこれは、「殺したい」程憎い父親と安堵感を共有してしまった、というかなり両価的な状況。自分の心は真っ二つに引き裂かれ、そこでも精神的ダメージが発生。



これらのダメージによって、ただでさえ鬱で虚弱していた自分はさらに弱っていきました。こうなってくると、「ここまで来たら見舞いに来た母親と喋るのもやむを得ないのではないか」という気持ちになってきたのです。そう、本来なら自分にとって母親は「殺したい」程憎い人間であり、喋る事などあり得ない存在です。自分が母親に対して憎しみを募らせていく経緯は以下のフローチャートになります。




自分が2つ目の大学生活でも全く友達が作れず、さらに鬱が悪化。当時の鬱の諸症状はこちら→ 大学入って鬱が3倍酷くなった話


「せめて家の中くらいは自分にとって平穏な居場所であって欲しい!!!」、との思いがかなり強くなる。



しかし、家に帰ると相変わらず母親が父親を一方的に責め続けており、平穏な居場所どころか10年以上続く戦争状態は全く変わっていない。むしろさらに悪化している。

自分は無いエネルギーを振り絞って両親の仲介を試みるも見事に失敗。それによりかなりの無力感と虚無感が発生し、それが裏返って、母親への猛烈な憎しみに変わる

母親は自分が幼い頃「離婚したい、離婚したい」とよく泣いていた。そこで、自分は「昔から離婚する、離婚する言ってたけど、そんなに親父の事を責め続けるくらい嫌なら離婚すれば良かったじゃないか!!!」と激しく責める事に。


しかし、それでも母親が父親を責める姿勢は変わらず、自分は母親とコミュニケーションを取る事を諦める。この頃から母親に対する憎しみは「殺したい」程のモノとなった。



引用終わり



しかし、ここまで心身が衰弱し切ってしまうと、自分の中に「父親とは喋って、母親とは喋らない」というねじれた行動をとる気力は残っていませんでした。もうすでに自分は「殺したい」程憎い父親に尿管結石の看病して貰っており、それは強烈な自己矛盾の嵐を自分の中に発生させていました。こうなってしまうと嵐が1個発生しようが2個発生しようが同じ、というヤケクソな気持ちもあったような気がします。




そこで自分は母親と病室で喋り始めました。自分が母親と喋るのは1年ぶり。この時の自分の中には母親に対してこのような期待感があったように思います。



・母親はついさっきまで尿管結石の痛みでのたうち回る自分の姿を見ていた訳だから、自分に対して病人に接するような優しい態度で接してくるのではないか。



・母親と没交渉だった1年の間に、「母親が父親の事を10年以上に渡って責め続けている」件について、母親が少しは反省してくれたのではないか。



しかし、自分は母親を目の前にするとどうしても「殺したい」程の憎しみが湧いてきてしまい、喧嘩腰で喋り始めてしまったんですよ。そうすると母親も不機嫌そうに話を返してきまして、そこからまた1年前と同じような口論が始まったのです。そう、自分の言い分は先程も貼りましたが、これです。


「昔から離婚する、離婚する言ってたけど、そんなに親父の事を責め続けるくらい嫌なら離婚すれば良かったじゃないか!!!」



しかし、母親の方もそれに対して全く引かず、口論はヒートアップ。1年前と全く変わらない激しい口論が病室で繰り広げられたのです。この時の自分は激しく口論しつつも、一方では以下のようなとても悲しい気持ちになったのを覚えています。



「おぃおぃ、俺はついさっきまで尿管結石の凄まじい痛みでのたうち回っていた病人だぜ???血尿もドバドバ出たし、嘔吐もした。母親もそれを見ていたはずだ。その直後の病人相手にこんな激しい口論するもんかね、、」


さらに、「母親が父親の事を10年以上に渡って責め続けている」件に関しても、母親が全く反省していないようなのもがっくりきましたね。そう、没交渉だった1年の間に自分は母親がこの件に少しは反省してくれる事を期待していたのです。しかし、こうやって1年ぶりに口論してみると、母親の父親に対する憎しみは全く変わっていませんでした。




自分の2つの期待は見事に裏切られてしまい、これにより自分の中には果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生しました。この精神的ダメージ量が「中指の拷問」級だったんですね。





さて、話を最初に尿管結石の痛みが始まった時点に戻したいと思います。振り返ってみますと、自分は尿管結石の痛みが発症して以来、様々な精神的・肉体的ダメージを受けてきました。記事の前半で貼った4つダメージがそれですね。そして、自分はこの4つに加えて、その後の母親との口論でさらに甚大な精神的ダメージを受ける事になった、という事になります。ではここからは母親との口論で受けた精神的ダメージをまとめてみたいと思います。




⑤①〜④のダメージで衰弱し切っていた自分には「父親とは喋るけど、母親とは喋らない」というねじれた行動を取る気力は残っていなかった。特に③、④は自分の中に猛烈な自己矛盾の嵐を巻き起こしており、もはや自己矛盾の嵐が1個発生しようが、2個発生しようが、変わらないだろう、というヤケクソな気持ちもあった。しかし、やはり自分にとっては母親も「殺したい」程憎い存在。その母親と喋るという事は自分の中に強烈な自己矛盾の嵐を発生させた。




⑥自分は1年ぶりに母親と喋る上で以下の2つを母親に期待していた。



・母親はついさっきまで尿管結石の痛みでのたうち回る自分の姿を見ていた訳だから、自分に対して病人に接するような優しい態度で接してくるのではないか。



・母親と没交渉だった1年の間に、「母親が父親の事を10年以上に渡って責め続けている」件について、母親が少しは反省してくれたのではないか。


しかし、母親と喋り始めてみると、喧嘩腰で喋り始めた自分も悪いのだが、母親の対応も不機嫌。そこから1年前と同じような口論が始まり、ヒートアップ。その中で自分は母親が上記の件に関して全く反省していない事を知る。また、母親からは病人の自分に対する労りの態度も全く見えない。2つの期待は見事に裏切られ、とても悲しい気持ちになる。




⑦ ①〜⑥のダメージの蓄積により、自分の中には果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生。これは「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」。(「中指の拷問」についてはこちら→「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳))そして、それから4年後に起きる事になる「花粉症発症→ぎっくり腰事件」においても「中指の拷問」級の「無力感」「絶望感」「理不尽感」が発生している。つまり、2つの事件で受けたダメージ量は等しいので、「尿管結石事件」=「花粉症発症→ぎっくり腰事件」という事になる。




いや〜、よくまとまりました!素晴らしい!




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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