鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

こちらの過去話に対する母親のリアクション③(2008年2月・32歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「こちらの過去話に対する母親のリアクション②(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が母親に過去話を喋り始めたものの、こちらが望んだリアクションは一切得られなかった、という話でした。あれは虚しかった。自分の心の中にはさらに「無力感」や「虚無感」が増えていくような、そんな感じもあった気がします。あれから14年経った現在でもあの時の果てしない無力感や虚無感が自分の中に深く刻み込まれている感がありますからね。何度も書いていますが、当時の自分が母親に求めていたのは、「大変だったねぇ」とか「申し訳無かったねぇ」という「労い(ねぎらい)」のリアクションだったのです。しかし、そういった類いのリアクションは一切ないまま、自分の過去話は終わっていきました。そう、自分が「大学空手部の3年間で自分の鬱が3倍に悪化した話」をしても、「小学校3年生以降、学校生活においてどんどん周りとコミュニケーションが取れなくなっていった話」をしても、母親は全くノーリアクションだったのです。もちろん、小学校3年生「以前」の話に関してもノーリアクション。あれは悲しかったなぁ。



母親がこんなリアクションですから、母親に対する「殺しても殺し足りない」以上の憎悪が減るはずもありません。自分は相変わらず母親に対して理不尽にキレまくっていた記憶です。



振り返ってみますと、自分がそもそも母親と喋り始めたきっかけは、「犬の吠え声で苦しくて堪らない気持ちを母親に理解させる為に、自分のこれまでの31年間の歴史を全て母親に喋ってみる」、というものでした。そして、そのきっかけに従い、自分は母親に過去の記憶を3〜4ヶ月かけて喋り尽くしました。ところが、最終的に自分の願いは全く達成されなかった、という事になります。そう、「犬の吠え声に対する母親の理解」は一切得られなかったのです。あれは虚しかった。自分の過去を母親に喋った事で、自分の心が癒されたり、慰められた事は一瞬たりとも無かったですからね。ですから自分の心の中にあった果てしない量の鬱的感情が減る事は一切無かったですし、なんなら逆に増えていたくらいかもしれません。これじゃ殺人的な疲労感や眠気が回復するはずもありません。また、「音」に対する予期不安だって同様です。だから自分と「音」との戦いはまだまだ続いていく事になったのでした。




ただし、以前の記事でも書きましたが、母親と喋り始める事で、自分を長年支えていた「自殺願望」や「放火妄想」が一切無くなった事も事実です。そう、自分は母親と喋る際、母親のちょっとした言動にも理不尽にキレまくっていましたから、それで自分の中の暴力衝動が外に吐き出され、それらが出なくなった、という事なのだと思います。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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