鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

母親からのリアクションが一切無い中、ひたすら自分の過去話を喋っていった(2008年2月・32歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「こちらの過去話に対する母親のリアクション③(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が母親に自分の過去話を喋ったものの、母親は一切ノーリアクションだった、という話でした。今回の記事もそこら辺の話を書いていきたいと思います。あれは虚しかったですねぇ。毎回のように喋り終わると身体の中から力が抜けていく感覚がありましたからね。そう、前回の記事でも書きましたが、それは「高校1年生の時の暴言事件」について喋った時もそうです。(この事件は2019年10月の記事に詳しく書いてあります。)この事件は「性的要素」を多分に含んでいる事件ですから、自分はあの事件を喋る前日かなり気が重かったんですよ。何故なら決して許されない暴言を言ってしまった事件でしたからね。しかし翌日、自分はなんとかそれを乗り越えてこの事件を喋ったのです。しかし、ここでも母親はノーリアクションでした。驚くようなリアクションもなければ、軽蔑するようなリアクションもない。ただただノーリアクションです。そして、自分はこの事件後の話もしました。そう、この事件直後に自分は鬱を発症したんですね。この事件以降食欲が一切無くなりそれは10年以上続きました。そして、日曜夜ごとに激しい喘息に苦しみ、一睡も出来ないまま高校に通う事にもなったのです。自分の意識は慢性的な疲労感と眠気から精神的苦痛を受け続け、ボーッとした状態で高校生活を送る事となりました。そして、学校生活の中で原因不明の激しい目眩に襲われるようにもなりました。自分としてはこの暴言事件の話をする事で母親から「大変だったね」とか「申し訳無かった」とか言って貰いたかったのですが、もちろんそういう言葉も一切ありませんでした。



そして、この高校1年生の時の暴言事件を喋り終わると自分の過去話も大体終わりの感じになったと思います。それは喋り始めてから3〜4ヶ月後だった印象です。自分はこの3〜4ヶ月間、かなりの時間を使って自分の過去の記憶をすべて母親に喋りました。ほぼ毎日のように1日4〜5時間母親と喋っていましたからね。自分はその中で物心ついた頃の記憶から始まり、幼稚園、小学校、中学校、高校、1つ目の大学、2つ目の大学、の記憶を詳細に喋っていきました。このブログにこれまで書いてきている内容をそのまんま母親に喋って行ったのです。(ただし、2003年の尿管結石事件とそれ以降の話については一切喋っていません。自分が母親に詳細に喋ったのは3歳〜27歳の記憶であり、27歳〜32歳の記憶はホントざっくりとしか喋っていません。この期間にあった尿管結石事件、引きこもり、東○荘事件、引っ越し、ぎっくり腰事件といった重大事件についてはほぼほぼスルーです。当時ここら辺の話は自分の中で全く言語化されておらず、全く整理もされず、超カオス状態で残っていました。よって喋るのは到底無理な状態だったのです。)そして、何度も書いていますが、それに対する母親のリアクションは一貫して「ノーリアクション」だったのです。驚くでもなく、労う(ねぎらう)でもなく、謝るでもなく、軽蔑するでもなく、ノーリアクション。もちろん、自分が話している内容に対して母親が質問を投げかけてくるような事も一切無し。ですから、自分はず〜っと何のリアクションも無い中で延々と一人で過去話をしていたのです。ラジオのフリートークみたいな感じですよ。何のリアクションが無い中一人で延々と喋っていくのですから。いや〜、今から考えると我ながらすごい事をしていたな、と思います。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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