鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

母親と1日4〜5時間喋っていったが、鬱は全く改善せず(2008年2月・32歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「母親からのリアクションが一切無い中、ひたすら自分の過去話を喋っていった(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が自分の過去の記憶を喋り終えたものの、母親からは何のリアクションも無かった、という話でした。あれはホント虚しかった。自分はそもそも母親に対して「殺しても殺し足りない」以上の憎悪を抱いていました。(自分が何故そのような感情を抱くようになったのかはこちら→ 何故両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱くに至ったのか(2006年8月頃・30歳))そして、犬の吠え声の出現と共に「首吊り」と「母親と喋る」という2択の選択肢が浮上し、究極の自問自答の果てになんとか「母親と喋る」という選択肢を選んだのです。これはこれまでの人生で選んだ選択肢の中で最も選ぶのが困難な選択肢でした。そして、自分はそれまでの過去の記憶を全て母親に喋っていったのですが、それに対する母親のリアクションは皆無だったのです。そう、自分の過去話に対して母親が質問を投げかけてくる事は皆無でしたし、「驚き」「慰め」「労り(いたわり)」「心配」「謝罪」などのリアクションも一切無し。あんなん壁に向かって喋っているのと変わりありません。自分はそんな一方的な喋りを連日に渡って1日4〜5時間していたのです。とは言ってもその中には雑談の時間もあったりはしました。そのような雑談の時間には母親は普通のリアクションをし、会話は成立しているのですが、自分が過去の話を始めると途端に一切ノーリアクションなのです。雑談の時間と過去話の割合は、1:4くらいだった印象です。




ですから、自分は母親と喋り終わると毎回虚脱感が半端なかった記憶があります。自分の中が燃えカスになってしまい、身体中から力が抜けている感覚。これはとても懐かしい感覚です。今(2021年7月)から14年前の話にも関わらず、自分の中にとても鮮明に残っている感覚なんですよ。そして、現在の自分は(2021年7月)は14年ぶりにこの感覚を思い出す事が出来て、とても嬉しい気持ちにもなりました。自分はあの巨大な虚脱感の事をこの14年間全く忘れていたのです。ですから14年ぶりにあの感覚を思い出しまして、「そうだった!そうだった!あの頃虚脱感が酷かったわ!!」ってテンションが上がってしまいました。まるで14年ぶりに思いがけず戦友と再会したような、そんな気持ちです。




そもそも自分が母親と喋り始めた動機は、「犬の吠え声で苦しくて堪らない気持ちを母親に理解させる為に、自分のこれまでの31年間の歴史を全て母親に喋ってみる」でした。しかし、実際に3〜4ヶ月かけて過去話を全て母親に喋ってみると、母親が自分に対して「理解」の態度を示す事は一切ありませんでした。ですから自分の上記の思いは全く叶えられなかった、という事になります。う〜ん、無惨。まぁでも自分の中にまだ微かな希望は残っていたような気もします。それはこんな感じの希望的観測です。「母親は過去話に対して全くもってノーリアクションだったけど、あれだけ喋ったのだから何かしら伝わったものはあったのではなかろうか?」、と。それは全くもって根拠の無い希望的観測ではありましたが、それくらい考えないとやっていられない、って感じもあったと思います。



そして、母親の理解が全く得られませんでしたから、自分の中の果てしない量の鬱的感情も全く減ってはいません。それは31年間に渡って果てしなく蓄積し続けた、孤独感、恐怖感、脱力感、無力感、虚無感、理不尽感、等々の鬱感情です。もちろん、 「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス及びそれらから派生した5つの現象」も全く減っていません。久しぶりにあのコピペを貼ってみたいと思います。長いコピペになります。




「引っ越し及び東○荘事件で受けた致命的なストレス一覧及びそれらから派生した5つの現象」




①15年間住み続けた凄まじく愛着のある部屋を奪われる。



② 前年の記憶のサルベージ(言語化)によって自分の学生時代が家庭環境によって滅茶苦茶に破壊されていた事が判明。その上親が言い出した引っ越しの為に自分がさらに時間やエネルギーを割かなければならない。



③引っ越しの情報を得る為に「殺しても殺し足りない」程憎い妹とコンタクトを取らざるを得なくなる。結果自分の中に凄まじいストレスの嵐が発生し、それは自我が崩壊する危険性を感じる程だった。自分は自我が崩壊するギリギリになったら、この世界から離脱できるよう首吊りの準備をしてから妹とのコンタクトに臨んだ。



④前年の記憶のサルベージ(言語化)によって自分の精神年齢の成長が小3で止まっているという事が判明。自分がまだ精神的によちよち歩きの状態だというタイミングの問題。



⑤「殺しても殺し足りない」くらい憎い家族と、その後も一つ屋根の下で住み続けなければならない。



⑥東○荘事件により、家庭内での孤立無援感がさらにエグい事になり、眠りに就こうとすると「自分が眠っている間に激昂した父親が再び自分の部屋に突入してきて、自分は殺されのでは??」という凄まじい恐怖心に襲われるようになる。自分の睡眠はただでさえ「妹のドア音」によって劣化しまくっていたのだが、この凄まじい恐怖心によりさらに極限まで劣化する事に。結果慢性的な疲労感と眠気は果てしなく大きくなり、意識朦朧とした状態で日常生活を送る事になる。そんな中での心の支えは「自我が壊れそうになったら首吊り」という思いだけだった。



⑦東○荘事件によって自分の人生に対する激烈な無力感と虚無感と理不尽感と絶望感も発生。東○荘事件以前から自分はこれらを抱えて生きていたが、東○荘事件によりこれは倍増。そして、これらの倍増によってそれまで抱えていた「自殺願望」が「自殺企図」へと変化。また、激烈な無力感は慢性的な疲労感の極限化の一因にもなった。



⑧「自分の身体」と「自分の時間」が「殺人的な疲労感」と「殺人的な眠気」に支配され、全く自分の思い通りに使えない。1日のうち18時間はベッドの上で過ごさねばならない生活。起きている6時間も100kgの重りを背中に乗せられ、身体が床にぺちゃんこに潰されそうな感じ。自分の身体と時間が乗っ取られているかのよう。その無力感と情け無さ。



⑨東○荘事件により、パチンコで稼いでいた時の希望に溢れたモチベーションが完全消失。これによりさらに大きな喪失感と虚無感が発生。また、月30万の現金収入も失い、両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を感じる。



⑩幼い頃から疲労感や眠気に抗い(あらがい)続けて生きてきた結果、引っ越しや東○荘事件以後の殺人的な疲労感と眠気に対して抗う気力が全く無くなる。これにより睡眠を取り意識が覚醒した後、ベッドから動く事が全く出来なくなる。意識が覚醒した後自分のまぶたや身体が鉛のように重いのだが、それ抗って起きようという気力が全く湧かない。この状態は大体1時間くらい続いた。この「疲労感や眠気に抗いたくない」という気持ちは、⑧の気持ちと矛盾している気持ちだが、当時の自分は「鬱の廃人」+「鬱の狂人」状態だったので仕方ない。これはたぶん両価性(アンビバレンス)という状態。両価性とは「相反する2つの価値基準が自分の中にある事」。詳しい意味はこちら→ https://kagaku-jiten.com/abnormal-psychology/ambivalence.html



11ベッドに入り目をつむると上記①〜⑩の致命的なストレスの嵐が一気に自分に襲いかかってくるので、その精神的苦痛で1時間全く寝付く事が出来ない。加えてその間❶❷の予期不安(予期憎悪)による甚大な精神的苦痛にも耐えねばならない。





[上記①〜⑩の致命的なストレスの数々が生んだ5つの現象]



❶寝付く際のストレスが原因の予期不安

引っ越し後の自分がベットに入り、まぶたを閉じると上記①〜⑨の致命的なストレスに一気に襲われてしまう。自分はその甚大な精神的苦痛に1時間耐えなければ寝付く事が出来なかった。故にその後の睡眠を妨害された時の憎しみは凄まじいものがあった。それは先程の甚大な精神的苦痛に耐えた1時間が無駄になってしまったから。だからこそ、ベッドに入り、目をつむると「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、どうしよう」と凄まじい予期不安にも襲われる事にもなった。また、逆に「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、凄まじくムカつくだろうな」という予期憎悪にも襲われていた。



❷「超睡眠依存症」状態が原因の予期不安

引っ越し後の自分にとって睡眠は命より大事なものになっていた。何故なら眠っても眠っても殺人的な疲労感と殺人的な眠気が全く減っていかない為。しかし、それを減らす為の手段は睡眠しかあらず、それ故に睡眠への欲求が底無しで無限で苛烈になっていった。「超睡眠依存症」とでも言って良い状態。故にその睡眠を妨害された時の怒りは凄まじい。だからこそ、ベッドに入り、目をつむると「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、どうしよう」と凄まじい予期不安にも襲われる事にもなった。また、逆に「この先寝付いた後何らかの音で起こされたら、凄まじくムカつくだろうな」という予期憎悪にも襲われていた。



❸「首吊り企図の日常化」
「首吊り」という選択肢が、「今日何食べようかな」と同じくらいの日常的な選択肢になっている。


❹「放火妄想」
家に灯油をまいて、家族もろとも燃やしてやりたい、という妄想。家が燃え尽きたのを見届けたら、逃げるのも刑務所も面倒なので、裏山で首吊り。


❺「花粉症発症→ぎっくり腰事件」

引っ越しから1年2ヶ月後の2007年3月、家の裏山の杉林が原因で、花粉症を発症。これにより家族に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪がさらに激しく燃え上がり、その果てしない炎は自分の心身を激しく焼いていった。そして、その憎悪の裏側では、果てしない量の「無力感」「絶望感」「理不尽感」も発生。その果てしない精神的苦痛は「中指の拷問」を受け、中指を折られた時と同じくらいな印象。(中指の拷問の詳細はこちら→ 「「花粉症発症→ぎっくり腰事件」を別のモノで例えてみる(2007年3月・32歳)」)さらに、その凄まじ過ぎる精神的苦痛により、脳内に激しい炎症が発生し、その激しい熱で脳の一部が壊れてしまった感じもある。それは生卵を茹でるとゆで卵に変化するのと同じ原理。炎症による激しい熱で脳の一部のタンパク質が固まってしまい、血や神経が通わなくなるイメージ。さらに「無力感」「絶望感」「理不尽感」のピークでぎっくり腰発症。凄まじ過ぎる肉体的苦痛も浴びる事になった。



コピペ終わり



OKです。母親に自分の人生を喋った後も、上記の致命的なストレスの数々は全く減る事は無かった、という事になります。当然母親に対する「殺しても殺し足りない」以上の憎悪も変わらず。また、肉体的な苦痛も全く変わっていません。果てしない疲労感と眠気は相変わらず自分の意識を攻撃し続けています。自分の睡眠と体調は相変わらず鬼のように不安定で、自分は今日1日の自分の体調さえ見通せない状況が続いていったのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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