皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「でっち上げの奇跡に現実逃避(過去編・1997年4月頃・21歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が大学3年生の時にでっち上げの希望に現実逃避していた、という話でした。そう、空手部を辞める事でそれまでの必死の忍耐が無駄になる事をとても恐れていたのです。今空手部を辞めてしまうと、自分に残るのは「高校時代と比べて3倍悪化した鬱の諸症状」と「大学内の完全孤立状況」だけです。「鬱の廃人」状態の自分がそんな現実を直視できるはずがありません。自分が出来たのはこのまま空手部に残り、残りの1年間をなんとか耐える事だけでした。そして、その1年間の間に、「自分に自信が付き、コミュニケーション能力が劇的に改善する」事に期待するしかありませんでした。そう、でっち上げの希望に現実逃避するしか無かったのです。
さて、話を進めたいと思います。自分は大学3年生の4月から大学内でカウンセリングを受け始めました。その中で「空手部を辞める」という選択肢が浮上し、すぐに消えたのです。ここからは、カウンセリング2回目の話を書きたいと思います。以前の記事の中で、自分がカウンセリングの2回目くらいで、「自分が大学空手部内で最上級生(3年生)になったものの、副主将らしく振る舞う事が全く出来ず、とても辛い」という話をした、という話を書きました。(ややこしいw)当時の自分は記憶が超カオス状態に陥っており、過去の記憶をほとんど思い出せなくなっていました。それによって自分の健康状態すら把握できなくなっていたのです。しかし、そんな記憶状況の中でも、この話は現在進行形の話であり、さすがに思い出す事が出来ました。ただし、この話をカウンセリングの先生に聞いて貰う際、自分の中にけっこうな「抵抗感」が発生していたのは覚えています。何故なら、これって自分の「恥」を晒すようなものだったからです。そう、これって「自分はコミュニケーション能力が劣った人間です。」って言うに等しいですからね。それを出会ったばかりのカウンセリングの先生に言うのはけっこうな抵抗感があった記憶です。しかし、これを喋らないと何故自分がこんなに悲しいのか、カウンセラーの先生に伝わりません。ですので、自分はその抵抗感を乗り越えて、先生にその話をしたのです。懐かしいですねぇ。
現在の自分(2021年7月)は、自分の過去の恥を晒す事に全く抵抗が無くなっていまして、こうやって頼まれてもいないのにブログで自分の恥を晒しています。現実世界においてもこのブログの内容を両親や知り合いや馴染みの美容師さんに喋りまくっていますからね。しかし、あの頃の自分はカウンセラーの先生に話す事さえ抵抗があったのです。まぁでもそれも仕方のない事だったと思います。なんせ自分は小学校3年生以降全く日々の出来事や感情を言語化してきていませんでしたからね。(この場合の言語化とは「お喋り」もしくは「書く事」を指しています。)ですから、いわゆる「自己開示」と言うものも当然全くしてきていない訳です。そう、「自分の弱み」や「自分の恥」みたいなモノを他人に喋る事も当然してきていません。だって「弱み」どころか、自分自身の事を何一つ把握出来ていなかったのです。よって、自分にとっては大学3年生の時のカウンセリングが生まれて初めての「自己開示」体験でした。だからけっこうな抵抗感があったのだと思います。(「自己開示」の意味は『自分に関するプライベートな情報を相手に話すこと。自分の生い立ちや趣味を話題にする、過去の失敗を打ち明ける、自分の思いや意見を正直に話す……などが、自己開示の例』。https://studyhacker.net/self-disclosure )
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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