鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングにおける「葛藤→解放」の流れ②(過去編・1997年4月頃・21歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「カウンセリングにおける「葛藤→解放」の流れ(過去編・1997年4月頃・21歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がカウンセリングの最中に感じていた「葛藤」についての話でした。今回の記事も改めてここら辺の話を振り返ってみます。そう、自分はカウンセリングで「自分が大学生活において周りと全くコミュニケーションがとれていない」という話をしていったのですが、この種の話をする時は毎回「葛藤」があったのです。こういう話って、先生に対して「自分が社会において居場所を作れない劣った人間である」と表明するようなものですからね。自分は小学校3年生以降全く自己表現をしてきていませんでしたから、そんな自分にとってこれはなかなかハードルの高い「自己開示」だったと思います。また、こういう話をする事でカウンセリングの先生に馬鹿にされるのでは、という心配もありました。ですから、この種の話をする直前はいつだって気が重かった記憶です。




しかし、当時の自分が大学生活に感じていた膨大な辛さの原因は、まさにその「居場所の無さ」にある訳で、そこを喋らないと話が前に進みません。ですから、自分は毎回葛藤しながらも、頑張ってその種の話を喋っていったのです。そして、喋り終わった後カウンセリングの先生の様子を伺うと、こちらをしっかり見ながら優しげに「そうなんだ〜」と真摯なリアクションを返してくれました。自分はそのリアクションを見て「あぁここではこういう話をして軽蔑されたりしないんだな」と安堵したものです。そして、カウンセリングが終わると少しだけ気分が晴れたかのような気分を感じる時もありました。




前回作ったカウンセリングのフローチャートを貼ってみたいと思います。



自己開示前の葛藤(こんな話をしたらカウンセリングの先生に馬鹿にされるのでは??)

自己開示

カウンセラーの先生の真摯なリアクション

安堵

喋ってスッキリ(開放感)



ホント、7年間のカウンセリングはこの繰り返しでしたね。懐かしい。ですから、自分にとってカウンセリングは「辛い」部分もあったんですよ。そう、自己開示の直前はいつだって気が重かったですからね。しかし、それを頑張って乗り越えて自己開示すると安堵と開放感があったのです。いや〜、カウンセリングにおけるこの「葛藤→解放」の流れをすっかり忘れていました。こうやって記事を書く前は、カウンセリングに対して「解放」のポジティブな印象しか残っていなかったのですが、実は毎回その前に「葛藤」があったんですねぇ。こんな重要な事を忘れていたとは。カウンセリングは決していい事ばかりではなかった、という事になります。




ここで、この「葛藤→解放」の流れにおける2つの気持ちを比較してみたいと思います。



・「葛藤」時のネガティブな感情


・「開放」時のポジティブな感情


カウンセリングにおいて、自分の中にはこの2つの気持ちが発生していたのですが、この2つの気持ちを比べると「解放」時のポジティブな気持ちが毎回勝っていた記憶なんですよ。そう、1.5倍くらい勝っていた印象です。ですから、自分は辛くてもカウンセリングを7年間続ける事が出来たのです。喋っている途中は辛くても、喋り終わると常にそれ以上の開放感を味わえましたからね。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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